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2010年11月18日
カテゴリー:院長より
見果てぬ夢の地平を透視するものへ-48-
朔太郎の生き方は、彼自身が蓋然的に規定してしまっていた芸術的野心=詩人という自我同一性へ、表現行為としても実生活においてもいかに自己を密着させるかという努力によってつらぬかれていたと私は考えざるを得ない。それは既に詩集『月に吠える』の時代からはぐくまれ、「もはや、人生にたいする青年の大半のイデアをうしなった」(吉本隆明)晩年に至るまで強固に持続したアイデンティティであった。
(現代において私達が日常遭遇する異端的な内的現象が、むしろ自我拡散(Identity diffusion)によって代表されるとき、朔太郎という近代の異端的自我が、強烈に詩人というアイデンティティを構築し、その同一化のなかでしか生きられなかったということは興味あることである。それは、近代と現代という日本の社会構造に対応した人間の内的現象の許容度にもよるはずである。)
朔太郎のこのような自我構造が、数々のエピソードとしての強迫行為を導き、時には朔太郎のナルシシズムの基盤となったということを想定することはそれほど困難なことではないと考えられる。
しかし、朔太郎の内的現象にとって最も重要なことは、朔太郎の幼児期の家族内関係と、なかでもとりわけ、母・子関係に注目することである。
朔太郎のおびただしいアフォリズムや、論評のなかで、彼の家族や母に対する具体的な関係を示唆するものはきわめて数少ない。にもかかわらず、私にはこのことを抜きにして朔太郎という人間を語ることはできないという気がするのである。
(Ⅰ詩人論/朔太郎の内的世界つづく…)