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墨岡通信

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2025年06月26日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-11-

流れてなんかゆかない
こんりんざい あともどりなんかしない
垂直にたちて 今宵は
稚い抗のうたを唄う
やがて夜がくるだろう
夜はあやまりなく俺の瞳を潰すだろう
どうしろというのだ!知らない
僕は大人達にはきかない
その賢さによりて 心臆せる
大人達にはきかない
火のなかの石
石のなかの小さな自由
そんな一番大切なことを言うのに
多少の狂気と若さがいるのなら
そんな時一番大切なことを唄うのに
大きな澄んだ心と眼玉がいるのなら
おれはきく
死をみつめ
きりつまった危機と愛とをみつめ
何物にも代え難い
若さを守る 青年達に
おれはきく

どうすればよいのだ
(「微かな角笛に合せまずタローが唄う」)

だが、時代を真正面から見すえながら生き続けていくことはつらいことである。時代の困難さが増すにつれ、それにみあうだけ精神の側の苦渋も一層激しいものとなっていくだろう。「若さ」というものを軸として、山本太郎の発した「どうすればよいのだ」という一語は永遠に解の存在しない謎の環の中に組み入れられてしまう。状況の側、時代の側の変転と詩人の内部の変遷との間に、言葉もなく懸垂している巨大な影がある。

『歩行者の祈りの唄』から、詩集『死法』にまで至る山本太郎の足跡には、厳しく一つの予感が存在している。山本太郎の詩的行為はこの予感を綾なす糸のように織り込んで連なっている。そして、この予感とは言葉の喪失をめぐる詩人の営為である。しかも、ここ数年山本太郎の予感の激しさは加速度を増し続けていることも確かなことなのだ。果して山本太郎はこのさきどこへ行くのか、という想いが最近の私の頭にこびりついて離れない。ポール・ニザンは何でも言うことができた。私達が耳をおおいたくなる時でさえ、何でも言うことができた。しかし、山本太郎はいま何でも言うことができるのか。

私は、山本太郎が既に老いたという風な話を書こうとしているのではない。老いたというなら時代そのものが既に老いたものとなっていることをまず言わねばならない。私達はいま、このように言葉の喪失にむかって膨大なエネルギーを消費しつつ苦闘している一人の詩人の声に強くひかれる。そして、それがそのまま私にとっては一九六七年と一九七三年の落差なのだ。

(Ⅰ詩人論/山本太郎論 つづく・・・)

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