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2025年05月29日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-10-

山本太郎論

言葉の喪失

詩人はいつまで詩を書き続けるのだろうか。詩人はいつまで詩人であり続けるのだろうか。言葉を失うまで、とは言わせない。おそらく解答としてそれは不適当であろう。状況の中で言葉を失ってしまう詩人もまた確実に詩人であり得ることを私は知っている。

だが何故、詩人は詩人であり続けることよりもはるかに遠い地点で、言葉の喪失に固執しなければならないのだろうか。
詩人にとって、言葉の喪失とは一体なのか。

山本太郎の詩について触れるとき、第一詩集『歩行者の祈りの唄』から出立つしなければならないことは果して当然なのだろうか。

例えば私は想い出す。ポール・ニザンのことを。

「ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい。
一歩足を踏みはずせば、いっさいが若者をだめにしてしまうのだ。恋愛も思想も家族を失うことも、大人たちの仲間に入ることも、世の中でおのれがどんな役割を果しているのか知るのは辛いことだ。」(『アデン・アラビア』)ポール・ニザンは無論私にとって特別な意味のある人間であった。ポール・ニザンは何でも言うことができた。

「怒りを向けよ。きみらを怒らせた者どもに。自分の悪を逃れようとするな。悪の原因をつきとめ、それを打ちこわせ。」

ポール・ニザンはついに言葉の喪失に出会わないまま死んでいった。だからこそポール・ニザン!という私の内部の声とは別に、ポール・ニザンを遂には私の同時代へとは同化できないもう一つの声がある。

ポール・ニザンを、まだ現在とは比較にならないほどのんびりとした、小さなバリケードの内側で横目で垣間見ていた一九六七年頃私はやはりどうしようもなく『歩行者の祈りの唄』が好きだった。

(Ⅰ詩人論/山本太郎論 つづく・・・)

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