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墨岡通信

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2009年08月19日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-40-

私達にとって内的な経験が明らかな関心事であるとき、こうした経験の心理的源泉を求めるために内なる階段を降りつめていくことは、自分自身のための要請でさえあるのである。たとえ、社会、経済的にはその外部的な妥当性が疑問視されているとしても、こうした確実感に支えられて、私達は内的な経験を自己確証的なものとして手に入れるのである。



(Ⅲ)特殊意識


内的な関与をうみ出す、この詩人の心理的源泉を、詩人自らの表現のなかにどのように見出すことができるだろうか。


私達は、既に詩とは何かという問いかけに対して、自己の生存に深くかかわる人間的基礎の一部としての表現という把握を行っているのであり、その限りにおいて詩もまたきわめて状況的なものなのである。


だから、私達は過去において考えられていた表現に対する認識をどこまでも拡大していかなければならない。それは、一つの表現行為をめぐる作者と読者、主観と客観との間の状況的渦の認識にかかわるものでもある。


かつて、E.Krisは、“Psychoanalytic Explorations in Art”のなかで次のように語った。


「芸術作品が芸術鑑賞者の精神内部にひきおこす心的エネルギーの解放と再統合による配分の変化は、それ自体が快適なものである。芸術鑑賞過程では、芸術家に導かれて、美的幻想の保存機能のもとに、非常に複雑な再創造の過程にまで通ずるような、情熱の解放を通して、一連の心的エネルギーの解放が起こる。」
(Ⅰ詩人論/渥美育子の内的世界つづく…)

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