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2009年05月31日
カテゴリー:院長より
見果てぬ夢の地平を透視するものへ-34-
渥美育子の内的世界
(1) 方法的接近
個人の表現行為にかかわる人間学的・現象学的な考察が、私のここ数年来の課題であった。それは単に、精神医学からみた創造の問題ということではなく、私という主観が精神医学への関与(治療・研究・構造・企図・転移etc)を通して得たさまざまな知見と諸理論を基礎として、個々の<人間>の行為を現象学的に<認識>することによって、表現をめぐる個人の内的世界の構造を明らかにすることが目的であった。
だが、私達がここで精神医学と規定するとき、それはむしろ人間の学としての内実を指向し(例えば、Thomas Szaszの“Problems in living”)T.Szaszの述べるように、あたかも巨大な神話として独り歩きしはじめてしまう権威主義的な精神医学でもなければ、疾患をめぐるレッテルはり(labeling)に加担する精神医学でもない。
私達が求める表現論の展開に最も強い刺激を与えたのは、まず第一にR.D.Laingであったことは確かである。Melanie Klein等の自我心理学及び精神発達理論という精神分析の大きな流れからの影響を受けながら、現象学、実存主義への接近(Laingのいう経験の理論experience)、二重拘束理論(Double-bind)、ニューレフトへの傾倒といった幾つかのモチーフを踏み台としてAntipsychiatryというきわめて状況論的色彩の強い主観主義心理学を提唱していったLaingの作業は、表現論の解明であったと言って過言ではない。
(Ⅰ詩人論/渥美育子の内的世界つづく…)