成城墨岡クリニック分院によるブログ形式の情報ページです。
2012年03月14日
カテゴリー:院長より
見果てぬ夢の地平を透視するものへ-74-
前章で述べた『青猫』周辺の、朔太郎の内的世界の素描を、朔太郎における<近代>の崩壊という、より外的な視点からとらえかえしてみても、私達はそこに決定的に割り切れない議論の破綻を見出してしまうのである。
朔太郎がいかに執拗に自然主義的思想を嫌悪し、さらにまた、プロレタリア文学を批判したとしても、朔太郎の批判の根拠は初めからこれらの潮流が激しく所持していただろう状況的色彩を欠落させていたことも事実である。このような朔太郎の宿命は、くり返し述べるように、自己をあまりにはやく<詩人>という呪縛のレッテルにくくりつけてしまった人間にとっては、ある意味で不可避な結末であると言ってよい。
だから、朔太郎の厳密にいえばたったひとつしかない方法論の燃焼を『青猫』のなかで果してしまった以上、それ以后の朔太郎の表現行為は自他ともに根拠を失ったものとならざるを得なかった。
こうしたなかで、朔太郎は、自らにくくりつけた呪縛のレッテルにますます依存しなければならなくなる。これは悪循環である。このようにして、朔太郎は単に表現行為だけでなく実生活においてもその呪縛に絡みつかなければ自己の生存の基盤さえ確保できないような場所へと追いつめられていったであろう。既にその頃、朔太郎は自分の夢みた<詩人>として、充分に名声を手にしていた。呪縛はもう、朔太郎自身のものとしてだけあるのではない。名声と評価の目に見えない要請としても存在していたのである。
このとき、朔太郎のレッテルは、レッテルである以上に状況的なスティグマへと変質していったはずである。
(Ⅰ詩人論/朔太郎の内的世界つづく…)
2012年02月19日
カテゴリー:院長より
見果てぬ夢の地平を透視するものへ-73-
ところで、かつて広末保は、<近代>を超えることに関わって次のように述べた。
「こうした心情的主義的な出会い、あるいは回帰は、挫折した人間が、所をかえてすみやかな自己完結をとげようとするときに、しばしばみられるものであるが、それは、一方で、近代的な方法や近代的な諸概念によっては解くことのできない『日本的な』あるものを、心情的・情緒的にとらえてすませるという態度とも、うまく重なることができる。その結果、前近代の遺産を『日本的なるもの』として再評価するにしても、たとえば、大衆の発想、近代主義でも情緒主義でもとらえきれないような発想にまでわけいり、そこからあらためて『日本的なるもの』を模索し、その模索を通して、近代のなかで近代を超える可能性にいどむというふうにはならない。心情主義的に自己完結しうる『日本的なるもの』が、日本の近代を、あるいは近代主義的な普遍主義を超えるべきどのような可能性をもちうるであろうか。」
まさに、そのとおりなのだが、朔太郎にとっての<近代>も、日本への回帰も、日本浪漫派のそれとは、まったく同一には語られ得ないことも事実なのである。
それは、「日本的なもの」を、大衆的・階級的にとらえるか、貴族的なセンスでとらえるかといった措定ともまた異なった認識のうえに成立するものである。
詩人をめぐる、内的世界と外在的状況との関わりは、無論とりわけ社会的な現象である。それ故に、つねに、ある詩人がその自身の内的な同一性としてしか振舞い、表現することができないのは、出会う存在するもののいずれの領域からの、どのような要求のもとでなのかと、問うことが可能となるのである。と、同時にここから、詩人をその要求の状況から、その要求とそれに対応する内的な同一性との問題を、純粋に内的世界の問題としてとり出していこうとする論拠がうまれるのである。
(Ⅰ詩人論/朔太郎の内的世界つづく…)
2012年02月07日
カテゴリー:院長より
見果てぬ夢の地平を透視するものへ-72-
物質的対象は、知覚されることによって存在するにすぎないとバークリーは主張した。「そうだとすれば、たとえば一本の樹は、誰もそれをながめていない場合には存在しなくなるではないか、という反論に対して、彼は次のように返答した。すなわち、神は常にあらゆるものを知覚している。もし神が存在しないとすれば、われわれが物質的対象だと考えるものは、われわれがそれをながめる時にわかに存在しはじめる。といったような気まぐれな生活をするであろう。しかし、実際には、神の知覚というもののおかげで、樹や岩や石といったものは常識が想定しているとおり、間断なく存在しつづけるのである、と。」(ラッセル『西洋哲学史』)
私がここに想定するのは、朔太郎の<近代>をめぐる比喩である。そして、それはただ単なる比喩だけではなく、朔太郎のスタイルの問題なのである。
そして、こうした生活上のスタイルの背後に、一体朔太郎の内的世界に何があったのかというところまで私達はいずれ、歩を進めなければならないのである。
私達は、朔太郎の詩の完成の問題として<近代>の崩壊を議論しているのではない。現代詩であろうが近代詩であろうが、その方法上の完成の問題など、私達にはそれほど重要なものではない。それよりも、その方法を生み出した、個人の内的世界のあり様と、その根拠を求め続けていきたいのである。
(Ⅰ詩人論/朔太郎の内的世界つづく…)
2012年01月08日
カテゴリー:院長より
見果てぬ夢の地平を透視するものへ-71-
朔太郎は、せいぜい次のように語ることができるだけである。
「されば主観と客観との区別が、必ずしも対象の自我と非我とに有るのではなく、もつと深いところに意味をもっている、或る根本のものに存することが解るだろう。何よりも第一に、此処で提出させねばならない問題はそもそも『自我とは何ぞや?』といふ疑問である。主観が自我を意味する限り、この問題の究極点は、結局して此処に達せねばならないだろう。自我とは何だろうか。第一に解っていることは自我の本質が肉体でないと言うことである。なぜならば画家は、自分の肉体を鏡に映して、一の客観的存在として描写してゐる。また自我の本質は、生活上に記憶されている経験でもないだろう。なぜなら多くの小説等は、自己の生活経験を題材として、極めて客観的態度の描写をしてゐる。」
「主観=客観」をビンスワンガーは、かつて認識論における「癌」であるときめつけた。朔太郎が結局は、自己の生き方をこの領域のなかにとどまらせている限り、朔太郎は、世界に関して、彼自身の固有の存在様式や両者の相互関係に関して、一体何を見るのだろうか。
朔太郎の詩が、詩集『青猫』以后、急速に見果てぬ規範としての<近代>を指向しはじめていったことは事実であるだろうが、このとき朔太郎の情熱をあくまでも駆りたてていたのは、内的な現象としても規範そのものでしかなかった<詩人=同一性>という自らに価した烙印であったといえるだろう。
そして、ついにはその烙印が独り歩きをしはじめ、逆に外在的な規範としての『日本への回帰』を生み出していったのである。
この意味からも、朔太郎の詩における<近代>の崩壊は、あらかじめ予定され、予知されたレールの上にあったものとして考えた方がよい。
だから、朔太郎の感性のなかには<近代>対<非近代>といった把握はなく、さらに言うならば「<前近代>のなかから<非近代>の可能性を把えて<近代>を超えいく」(広末保)ことなぞ望むべくもなかったのである。
「おのれのヴィジョンをもってすべての外的世界に代置しようとした」(那珂太郎)詩人朔太郎におけるこのような過程をたどるとき、私は何よりも論理の巧妙さで物質の存在を否定しようとした十七世紀のジョージ・バークリーのことを想い出す。
(Ⅰ詩人論/朔太郎の内的世界つづく…)
2011年12月24日
カテゴリー:院長より
見果てぬ夢の地平を透視するものへ-70-
朔太郎の自我の構造とその成立の由来について、私は前章のなかで触れてきた訳だが、そうした内的な過程をとおしてついに朔太郎は、ある意味では引き裂かれた神経症的な内的世界を定着させていったのである。
私達にとって周知のものである対象的表象世界を超えて、私達がもともとその上に立っている根拠へと飛躍しようとする内的な要求はついに、朔太郎には芽生えることはなかったと言ってよい。朔太郎が飛躍しようとするとき、現実的な形態となって表われるのは、きわめて擬制的な論理としてであるか、逆により屈折した意識を下降するものであるかであり、そのどちらの場合においても、巧妙に外見をととのえられたスタイルがまず先行しなければならなかったのである。
朔太郎が、その感情的表現において「主観」として<詩>のなかに、そのとぎすまされた神経を投入していくとき、まず最初に、人間存在は身体的有機性と、精神との集合体として規定され、この集合体という概念は、その時々の世界の他の事象にまじって、前もって存立する空間の特定の場所に現われるはずだという考えを背後に配置させているのである。私達が、その全体で飛躍しようとすれば、それだけで、従来自分自身でつくった謎、つまり、一体いかにして、外的世界の事象が私達の内的世界のなかへたち現われることができるのか、またいかにして、私達自身の内的世界の事象から、それを超越するように超えていくことができるのか、という謎を解く課題から免かれることになるはずである。
しかし、朔太郎が「主観と客観」という措定を表現し、その内実を定着させようとしたときにも、このような意味における<現代的>飛躍の意味づけは創造されるべくもなかったのである。
(Ⅰ詩人論/朔太郎の内的世界つづく…)