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墨岡通信

成城墨岡クリニック分院によるブログ形式の情報ページです。

2012年06月02日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-79-

 かつて、イギリスの精神科医でスティグマの構造論の古典的開拓者であったマクスウェル・ジョーンズは次のように規定した。
 「病になるということは症状の出現を意味している。過去の精神科医たちは、症状に気をとられ、疾患単位として症状をまとめたり分類しようと熱中した。しかし、今では、病になるということ、つまり患者としてふるまうことは、社会的な援助がなくしかも一人で生活することのできない個人がとる最後の手段と考えられるようになった。」(Social psychiasry in practice)
 言うまでもなく、「一人で生活することのできない個人」という表現は心理学的な比喩である。朔太郎の自我の分析から導き出される、<詩人>への同一化というのっぴきならない状況も、最終的には「一人で生活することのできない」生き方の展開であったと考えることができる。
 かつて、私は朔太郎の詩のなかで『月に吠える』から『氷島』まで、読者を極端に引き裂いて、各々の詩集に親和性を持つ個人が独立して存在することに触れ、そのなかで詩集『氷島』に親和性を持つものは、著しく内的な世界の構造にかかわる視点を持つ傾向があることを述べておいた。
 このような現象は、やはり詩的表現においては単純に作品論による批評だけでは不充分であることを示唆しているのではないだろうか。また、同時に朔太郎詩の今日的意味も、やはり単なる作品の定着にとどまるものではないということを示していると考えることができるのである。

(Ⅰ詩人論/朔太郎の内的世界つづく…)

2012年05月17日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-78-

 ここに特徴的なのは、詩が実生活の正直な反映であるのか、あるいはまた実生活が朔太郎の詩のために、<詩人>のためにあるのか判定し難い一連の状況であるだろう。否、「ためにある」という表現は正しくない。朔太郎はこのような状況を自らに負わせなければ生きられなかった人であったというべきだろう。これは、断じて、「運命」とか「人生」の問題ではない。朔太郎の内的世界をたどることによって理解することができる人間の一つのの生き方の問題であり、このようにしてはじめて全人間的に把握することができる意識の深淵なのである。
 私達は、朔太郎の実生活を単に詩集『氷島』の作品素材として考えることはできないと感じている。このようにして、『氷島』の作品群は曲解され、誤解され続けてきたのだと思うと、いまさらながら、表現をめぐる「主観と客観」の問題の重大さを認識せずにはいられない。表現論のうえからは、ただ単に作品だけが存在するのでも、作者の生活だけが独立して存在するのでもない。私達はそれら表現にかかわるものを総体として認識する方法論を手にいれなければならないのだ。
 私が、朔太郎の表現行為のなかに、このような方法論の一つの試行であるところのスティグマの構造を見出すのは、私自身のそういった内的な要請にも基いているのである。朔太郎における、神経症的症状、あるいは分裂気質などといったものは、精神病理学的に裁断されてみても、そこからは何も生まれないだろう。と同時に、それを、まさに朔太郎にとっての結果であるところの<近代>の崩壊の予感としてとらえることもそれほど意味のあることではないと思われる。
(Ⅰ詩人論/朔太郎の内的世界つづく…)

2012年04月29日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-77-

 そして、この構造の進行は、朔太郎の詩的表現の変遷にも微妙に影響を与えているのだ。くり返してのべるように、詩集『氷島』の作品群はこの変遷の終着点からの表現である。そして、朔太郎の内的世界の基本的な構造もこの時点で定まってしまうのである。それ以后の朔太郎の営為は、著しい悪循環に満たされるだけだったと言っていいだろう。朔太郎が夢みた<近代>も所詮は、このような内的な構造に投じた最終的な抵抗であったような気がしてならない。だから、朔太郎にとっての<近代>は苛酷な言い方をすれば、はじめから思想的な根拠を欠いた不毛な希求であったと考えられるのだ。
 「乃木坂倶楽部」は次のようにうたわれる。

    十二月また来れり。
    なんぞこの冬の寒さや。
    去年はアパートの五階に住み
    荒漠たる洋室の中
    壁に寝台を寄せてさびしく眠れり。
    わが思惟するものは何ぞや
    すでに人生の虚妄に疲れて
    今も尚家畜の如くに飢えたるかな。
    我れは何物をも喪失せず
    また一切を失い盡くせり
    いかなれば追はるる如く
    歳暮の忙しき街を憂ひ迷ひて
    晝もなほ酒場の椅子に酔はむとするぞ。
    虚空を朔け行く鳥の如く
    情緒もまた久しき過去に消え去るべし。
 
 詩の背後にある実生活の荒廃についても、朔太郎はその「詩篇小解」に詳しく表現している。

(Ⅰ詩人論/朔太郎の内的世界つづく…)

2012年04月19日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-76-

 『氷島』における朔太郎の創造力の涸渇と、それを表現上でおぎなおうとする方法的な文語体の使用の問題は、この間の事情をよく説明しているように思われる。そして、表現としての詩の主題さえもが、朔太郎自身がその内的な機略として生み落したはずの感傷的な日常生活に依存することになる。これもまた凄惨な悪循環である。
 しかし、このようなスティグマの構造のなかでより重要なことは、朔太郎自身も、その時代の同時代人達も、誰一人客観的にこのような構造を認識していないということであった。
 朔太郎にしても、くり返し『氷島』の必然性をくどくどと述べている訳だし、いかにも周到にそれを論理づけようと努力していたのだ。また、同時代人にとっても『氷島』はむしろ讃美され、評価されていたのである。スティグマの構造が、このように表現論の内に露呈するとき、一体誰が被害者で誰が加害者であるのかという問題は影をひそめるのであるけれども、しかし、これは表現の創造性、開示性の問題として、やはりこの種の表現にかかわった全体の不幸だと考えなければならないはずである。
 こうした視点は、朔太郎が無意識的に口にした表現の「憂悶」ともいうべき現象である。
 朔太郎という詩人は、彼の母親ケイから継承した心理的な同一化と共生状態、そしてそれを自我の自律のうちに自ら喪失せざるを得ないことによって深い憂ウツを手にした人である。朔太郎の憂ウツは、それだから自分自身の強烈な自己愛と表裏をなす一体のものと言うことができる。
 そして、このような機制から、おそいかかってくる憂ウツに押しつぶされないためにも、朔太郎は自分自身をさらに一層<詩人>へと概念化している。朔太郎にとって、まさにこの<>の内に定位されるべき<詩人>こそが、すべての根拠をささえた基盤であるかのように思えたはずである。朔太郎は詩人であるよりも、<詩人>という同一化に生存の意味を見出そうとした人間であったと言ってよいだろう。
 まさしく、このときから朔太郎は自分自身に対して<詩人>というレッテルをはりつけてしまったのである。そして、同時にこのレッテルは人間の対他的・対自的な関係性のなかで朔太郎の手からはなれて独り歩きをはじめたのではなかったか。
 私は、この現象を、前述のようにスティグマの構造と呼んだのだ。
(Ⅰ詩人論/朔太郎の内的世界つづく…)

2012年03月30日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-75-

 私には、朔太郎の孤独な笑い顔が想い浮べることができる。
 「『新宿の交番の前を通った時に、またあやしまれて不審尋問された』……(中略)『職業は何だと聞くから、著述業だといったが、いくら説明してもわからない。それに“朔”という字がわからなくて困った。』……(中略)……『詩人といっても分らないので、最後に思いついて明大講師をしているといったら、急に“大学の先生ですか!それは失礼しました”とあやまって、すぐ放免してくれた。』……(中略)……『交番というところは、どうしてあんなにものわかりが悪い所かな、詩人にはまるで信用がない』」(萩原葉子「折にふれての思い出」)
 このような状況的スティグマの構造のなかで、朔太郎の詩的作業は『郷土望景詩』を経て、詩集『氷島』へとなだれこんでいく。
 そして、『氷島』当時のよく知られた実生活上の破綻――妻との離婚、荒廃した生活、乃木坂倶楽部での独居、等々――それさえも、むしろ朔太郎が演じようとした最后の舞台の狂言まわしでしかなかったのである。だから、そのような実生活上の破綻が『氷島』の詩を導き出したというのは完全な誤りであるだろうと思う。『氷島』はあくまでも、必然的に成立するはずの詩集であり、朔太郎の実生活はスティグマの構造における、単なる合理化、あるいは緻密に準備された内的な策略にすぎなかったのである。
 人は、スティグマの構造のなかにその自我のあり様をとりこまれるとき、同時にすべての社会的規範が変質するように、その生存の基盤を失ってしまうのである。
 この現象は、自己と他者との間の交互作用的な剥奪であり、恒久的な役割存在の変質であり、内的には、創造力の衰退であり、開示性の喪失である。
(Ⅰ詩人論/朔太郎の内的世界つづく…)

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