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2023年01月07日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-200

状況のなかの精神医学

現在、私達が日常生活の諸層のなかで、人間の狂気について語り、狂人(ありえね)について触れ、この狂気をとりまく最も蓋然的な方法論としての精神医学に関与するとき、それはまさに人間の精神障害を現代日本の医療的、経済的、政治的、法的状況として把握すること以外のなにものでもない。

狂人(ありえね)とは、まさしく古典的に疎外(ありえね)以外のなにものでもない、と言い切ることとは別に、現在もなお進行中の現実的収奪の構造としての医療状況に私達は目をむけなければならないのである。だから、ここでは精神医学そのものも状況論としてしか定位できない。

かつて、はなばなしく狂気の復権が唱えられ、<症状>としての狂気が人間の深奥を照すものとしてもてはやされた。それはそれで事実なのだろうが、私達はこうした文学的レベルのなかでは、遂に狂気さえも狂人からみごとに奪いとられてしまうという苦い構図を手にしただけであった。さらに、私達は一歩足を踏み込んで状況論として狂人を見つめ得る地平にまで達してしまったというべきかも知れない。(前章の「私的表現考」にその間の私的状況は詳述しておいた。)


人が精神病院(その80%以上が私立精神病院である。)に何らかの理由で足を踏み入れることがあったならば、まずその人は精神病院の立地をめぐってひとまわり歩いてみるとよい。精神病院の立地条件ほど、その精神病院の内部の構造を象徴しているものはない。それは、その精神病院の歴史をもの語り、その精神病院の質をもの語り、その精神病院の地域における機能をもの語っている。

そして、このことに関する認識がなければ私達はその精神病院の内部で行われている精神病者に対する<医療>について何事も触れることはできないのだ。

さらに、視野を広めて、何故このように精神病院が地域の一区域に偏在し、なおかつ乱立しているのだろうかと問い続けるとき、私達の認識は精神病院をめぐる経済学と治安管理を中心とした国家的規模での法的政策の問題とにまで直結してしまうのである。

(Ⅴ状況のなかの精神医学/状況のなかの精神医学 つづく…)

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