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2012年04月29日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-77-

 そして、この構造の進行は、朔太郎の詩的表現の変遷にも微妙に影響を与えているのだ。くり返してのべるように、詩集『氷島』の作品群はこの変遷の終着点からの表現である。そして、朔太郎の内的世界の基本的な構造もこの時点で定まってしまうのである。それ以后の朔太郎の営為は、著しい悪循環に満たされるだけだったと言っていいだろう。朔太郎が夢みた<近代>も所詮は、このような内的な構造に投じた最終的な抵抗であったような気がしてならない。だから、朔太郎にとっての<近代>は苛酷な言い方をすれば、はじめから思想的な根拠を欠いた不毛な希求であったと考えられるのだ。
 「乃木坂倶楽部」は次のようにうたわれる。

    十二月また来れり。
    なんぞこの冬の寒さや。
    去年はアパートの五階に住み
    荒漠たる洋室の中
    壁に寝台を寄せてさびしく眠れり。
    わが思惟するものは何ぞや
    すでに人生の虚妄に疲れて
    今も尚家畜の如くに飢えたるかな。
    我れは何物をも喪失せず
    また一切を失い盡くせり
    いかなれば追はるる如く
    歳暮の忙しき街を憂ひ迷ひて
    晝もなほ酒場の椅子に酔はむとするぞ。
    虚空を朔け行く鳥の如く
    情緒もまた久しき過去に消え去るべし。
 
 詩の背後にある実生活の荒廃についても、朔太郎はその「詩篇小解」に詳しく表現している。

(Ⅰ詩人論/朔太郎の内的世界つづく…)

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