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墨岡通信

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2012年03月30日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-75-

 私には、朔太郎の孤独な笑い顔が想い浮べることができる。
 「『新宿の交番の前を通った時に、またあやしまれて不審尋問された』……(中略)『職業は何だと聞くから、著述業だといったが、いくら説明してもわからない。それに“朔”という字がわからなくて困った。』……(中略)……『詩人といっても分らないので、最後に思いついて明大講師をしているといったら、急に“大学の先生ですか!それは失礼しました”とあやまって、すぐ放免してくれた。』……(中略)……『交番というところは、どうしてあんなにものわかりが悪い所かな、詩人にはまるで信用がない』」(萩原葉子「折にふれての思い出」)
 このような状況的スティグマの構造のなかで、朔太郎の詩的作業は『郷土望景詩』を経て、詩集『氷島』へとなだれこんでいく。
 そして、『氷島』当時のよく知られた実生活上の破綻――妻との離婚、荒廃した生活、乃木坂倶楽部での独居、等々――それさえも、むしろ朔太郎が演じようとした最后の舞台の狂言まわしでしかなかったのである。だから、そのような実生活上の破綻が『氷島』の詩を導き出したというのは完全な誤りであるだろうと思う。『氷島』はあくまでも、必然的に成立するはずの詩集であり、朔太郎の実生活はスティグマの構造における、単なる合理化、あるいは緻密に準備された内的な策略にすぎなかったのである。
 人は、スティグマの構造のなかにその自我のあり様をとりこまれるとき、同時にすべての社会的規範が変質するように、その生存の基盤を失ってしまうのである。
 この現象は、自己と他者との間の交互作用的な剥奪であり、恒久的な役割存在の変質であり、内的には、創造力の衰退であり、開示性の喪失である。
(Ⅰ詩人論/朔太郎の内的世界つづく…)

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