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2012年03月14日
カテゴリー:院長より
見果てぬ夢の地平を透視するものへ-74-
前章で述べた『青猫』周辺の、朔太郎の内的世界の素描を、朔太郎における<近代>の崩壊という、より外的な視点からとらえかえしてみても、私達はそこに決定的に割り切れない議論の破綻を見出してしまうのである。
朔太郎がいかに執拗に自然主義的思想を嫌悪し、さらにまた、プロレタリア文学を批判したとしても、朔太郎の批判の根拠は初めからこれらの潮流が激しく所持していただろう状況的色彩を欠落させていたことも事実である。このような朔太郎の宿命は、くり返し述べるように、自己をあまりにはやく<詩人>という呪縛のレッテルにくくりつけてしまった人間にとっては、ある意味で不可避な結末であると言ってよい。
だから、朔太郎の厳密にいえばたったひとつしかない方法論の燃焼を『青猫』のなかで果してしまった以上、それ以后の朔太郎の表現行為は自他ともに根拠を失ったものとならざるを得なかった。
こうしたなかで、朔太郎は、自らにくくりつけた呪縛のレッテルにますます依存しなければならなくなる。これは悪循環である。このようにして、朔太郎は単に表現行為だけでなく実生活においてもその呪縛に絡みつかなければ自己の生存の基盤さえ確保できないような場所へと追いつめられていったであろう。既にその頃、朔太郎は自分の夢みた<詩人>として、充分に名声を手にしていた。呪縛はもう、朔太郎自身のものとしてだけあるのではない。名声と評価の目に見えない要請としても存在していたのである。
このとき、朔太郎のレッテルは、レッテルである以上に状況的なスティグマへと変質していったはずである。
(Ⅰ詩人論/朔太郎の内的世界つづく…)

