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2012年02月19日
カテゴリー:院長より
見果てぬ夢の地平を透視するものへ-73-
ところで、かつて広末保は、<近代>を超えることに関わって次のように述べた。
「こうした心情的主義的な出会い、あるいは回帰は、挫折した人間が、所をかえてすみやかな自己完結をとげようとするときに、しばしばみられるものであるが、それは、一方で、近代的な方法や近代的な諸概念によっては解くことのできない『日本的な』あるものを、心情的・情緒的にとらえてすませるという態度とも、うまく重なることができる。その結果、前近代の遺産を『日本的なるもの』として再評価するにしても、たとえば、大衆の発想、近代主義でも情緒主義でもとらえきれないような発想にまでわけいり、そこからあらためて『日本的なるもの』を模索し、その模索を通して、近代のなかで近代を超える可能性にいどむというふうにはならない。心情主義的に自己完結しうる『日本的なるもの』が、日本の近代を、あるいは近代主義的な普遍主義を超えるべきどのような可能性をもちうるであろうか。」
まさに、そのとおりなのだが、朔太郎にとっての<近代>も、日本への回帰も、日本浪漫派のそれとは、まったく同一には語られ得ないことも事実なのである。
それは、「日本的なもの」を、大衆的・階級的にとらえるか、貴族的なセンスでとらえるかといった措定ともまた異なった認識のうえに成立するものである。
詩人をめぐる、内的世界と外在的状況との関わりは、無論とりわけ社会的な現象である。それ故に、つねに、ある詩人がその自身の内的な同一性としてしか振舞い、表現することができないのは、出会う存在するもののいずれの領域からの、どのような要求のもとでなのかと、問うことが可能となるのである。と、同時にここから、詩人をその要求の状況から、その要求とそれに対応する内的な同一性との問題を、純粋に内的世界の問題としてとり出していこうとする論拠がうまれるのである。
(Ⅰ詩人論/朔太郎の内的世界つづく…)

