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2012年01月08日
カテゴリー:院長より
見果てぬ夢の地平を透視するものへ-71-
朔太郎は、せいぜい次のように語ることができるだけである。
「されば主観と客観との区別が、必ずしも対象の自我と非我とに有るのではなく、もつと深いところに意味をもっている、或る根本のものに存することが解るだろう。何よりも第一に、此処で提出させねばならない問題はそもそも『自我とは何ぞや?』といふ疑問である。主観が自我を意味する限り、この問題の究極点は、結局して此処に達せねばならないだろう。自我とは何だろうか。第一に解っていることは自我の本質が肉体でないと言うことである。なぜならば画家は、自分の肉体を鏡に映して、一の客観的存在として描写してゐる。また自我の本質は、生活上に記憶されている経験でもないだろう。なぜなら多くの小説等は、自己の生活経験を題材として、極めて客観的態度の描写をしてゐる。」
「主観=客観」をビンスワンガーは、かつて認識論における「癌」であるときめつけた。朔太郎が結局は、自己の生き方をこの領域のなかにとどまらせている限り、朔太郎は、世界に関して、彼自身の固有の存在様式や両者の相互関係に関して、一体何を見るのだろうか。
朔太郎の詩が、詩集『青猫』以后、急速に見果てぬ規範としての<近代>を指向しはじめていったことは事実であるだろうが、このとき朔太郎の情熱をあくまでも駆りたてていたのは、内的な現象としても規範そのものでしかなかった<詩人=同一性>という自らに価した烙印であったといえるだろう。
そして、ついにはその烙印が独り歩きをしはじめ、逆に外在的な規範としての『日本への回帰』を生み出していったのである。
この意味からも、朔太郎の詩における<近代>の崩壊は、あらかじめ予定され、予知されたレールの上にあったものとして考えた方がよい。
だから、朔太郎の感性のなかには<近代>対<非近代>といった把握はなく、さらに言うならば「<前近代>のなかから<非近代>の可能性を把えて<近代>を超えいく」(広末保)ことなぞ望むべくもなかったのである。
「おのれのヴィジョンをもってすべての外的世界に代置しようとした」(那珂太郎)詩人朔太郎におけるこのような過程をたどるとき、私は何よりも論理の巧妙さで物質の存在を否定しようとした十七世紀のジョージ・バークリーのことを想い出す。
(Ⅰ詩人論/朔太郎の内的世界つづく…)

