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2011年11月11日
カテゴリー:院長より
見果てぬ夢の地平を透視するものへ-69-
Ⅲ
朔太郎は、彼の方法論の凝集である『詩の原理』の構成を、まず「主観と客観」という一章から始めようとした。私には、このことがひどく象徴的なことのように思われるのである。朔太郎の論理のうちにあった、「主観と客観」とは、現在私達が考えているところのそれとは直接には結びつかないのだけれども、朔太郎の論理のうちに、このような原理的な問題に関して、二元論的な設問のあり方が位置していることに接して、私は朔太郎というアンビバレンツな詩人の意識構造の一端を理解できるような気がするのだ。
朔太郎がこのなかで、ウイリアム・ジエームズの説などを引用しながら表現しようと試みたのは、実は、方法論=認識論としての「主観と客観」の問題ではなく朔太郎自身にとっての詩の位置を定位する作業であったといってよい。朔太郎自身も後に、『詩の原理』新版の序のなかで次のように述べている。
「私がこの書を書いたのは、日本の文壇に自然主義が横行して、すべての詩美と詩的精神を殺戮した時代であつた。その頃には、詩壇自身や詩人自身でさへが、文壇の悪レアリズムや凡庸主義に感染して、詩の本質とすべき高邁性や浪漫性を自己虐殺し、却つて詩を卑俗的デモクラシーに散文化することを主張してゐた。」
しかし、朔太郎自身が意識していようがいまいが、朔太郎の意識の奥深には、方法的に「主観と客観」という設定によって確実に引きさかれる何かが存在していたことは確かである。それは、朔太郎の表現行為が、詩とアフォリズムそして論理化された詩論にと分極化されて存在していることの表象でもあり、朔太郎の自我が揺れるように同一化されていた<詩人>としての同一性の不確定なあり様のひとつの象徴でもあるのである。
朔太郎の自我は、自らが自己自身に価した策略にもにた同一化のなかで、ついに主観の内部でさえも、徹底的に解放されることのない袋小路においこまれていくのである。
(Ⅰ詩人論/朔太郎の内的世界つづく…)

