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2011年10月13日
カテゴリー:院長より
見果てぬ夢の地平を透視するものへ-68-
朔太郎はやはり、朔太郎を読み続ける人々の精神的自我のなかに深く深く根をおろし、それ故に、この意味においてどこにでも存在する朔太郎であるべきである。朔太郎の苦悩が深ければ深いほど、それは私達の苦悩の典型として表現されることになる。情感と苦悩の伝達を可能としているこのような表現の形態を私達は他に見出すことが難しいのだ。
「<詩人>としてしか生きていけない人間」の内的構造に触れながら、私達はふと、「病人としてしか生きていけない人間」のことを想うべきなのだ。そして、私達は人間存在が持つこのような不可解な呪縛の措定からどのように自由であり得るのかを考えていかなければならない。問われているのは、私達自身の人間的開示性の根拠なのである。
この章の最後に、もう一度朔太郎の母のことに触れておく。
萩原葉子の『父・萩原朔太郎』には次のように記述されている。
「しかし父が亡くなってからの祖母は、次第に元気もなくなり、血圧もかなり高くなって耳鳴りもひどく、足もとも危ぶなっかしくなってきた。そして、
『まさか子どもに先立たれようとは思わなかった』といって、頼みの綱がふっつり切れたように、力を落としてしまった。そしてやがて戦争も激しくなり安中の伯母の家に疎開したりして、箪笥の着物を一枚ずつ売っては食料や医療費に変えていた。
戦後二度目の父の全集が創元社から出たときには、祖母は、
『朔太郎は死んでから、親孝行してくれた』といって喜び『生きているときは、原稿料はみんな飲んでしまって、役には立たなかったけど結局あんなに飲んでも、家のお金を減らしも、増やしもしなかったよ。』といった。」
(Ⅰ詩人論/朔太郎の内的世界つづく…)

