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2011年06月25日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-61-

 朔太郎の詩は、彼のアフォリズムのように理性的な眼鏡をとおしていないだけ、偽りのない心情の直接的な反映としてある。しかし、朔太郎自身が心的な現象に対して非常に鋭い嗅覚をもっていたことは、彼の表現のすみずみからもうかがうことはできるのである。

『絶望の逃走』のなかで朔太郎は次のように表現し得ている。

「或る瘋癲病院の部屋の中で、終日椅子の上に坐り、為すこともなく、毎日時計の指針を凝視して居る男が居た。おそらく世界中で最も、退屈な、時を持て余して居る人間が此処に居ると私は思った。ところが反対であり、院長は次のやうに話してくれた。『この不幸な人は、人生を不断の活動と考へて居るのです。それで一瞬の生も無駄にせず、貴重な時間を浪費すまいと考え、ああして毎日、時計をみつめて居るのです。何か話しかけてご覧なさい。岐度腹立たしげに怒鳴るでしょう。黙れ! いま貴重な一秒時が過ぎ去って行く。Time is life!Time is life!と』。」(「時計を見る狂人」)

(Ⅰ詩人論/朔太郎の内的世界つづく…)

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