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2011年06月03日
カテゴリー:院長より
見果てぬ夢の地平を透視するものへ-60-
朔太郎にとっても、表現とのかかわりは次第に自分自身の心的状態の記録という形態をとりつつあったことは充分に自覚されていたことであった。朔太郎が『氷島』をどのような意図で書き綴ったのかは、現在では無論実証的推論の域を出ない訳だけれども、そこに私は朔太郎がつきつめていった表現方法の一つの帰結を見る思いがするのだ。朔太郎は充分に孤独であり、その運命はまさに自分以外の誰にも伝えようもなかったはずなのだ。
そして、その孤独な表現が、現在の私達のひとりひとりを、自己の背負いこんだ状況とのかかわりという衣をきせたまま確実に引き裂くのである。
『氷島』のなかの列車が突きすすむ闇の果ては、人間の意識のなかの最も寂しい場所であったように私には思われる。そこでは誰もが原初的な不安におののきながら、自己の来歴を執拗に問い続けているのである。
わが故郷に帰れる日
汽車は烈風の中を突き行けり。
ひとり車窓に目醒むれば
汽笛は闇に吠え叫び
火焔は平野を明るくせり。
まだ上州の山は見えずや。
夜汽車の仄暗き車燈の影に
母なき子供等は眠り泣き
ひそかに皆わが憂愁を探れるなり。
嗚呼また都を逃れ来て
何所の家郷に行かむとするぞ。
過去は寂寥の谷に連なり
未来は絶望の岸に向へり。
砂礫のごとき人生かな!
われ既に勇気おとろへ
暗憺として長なへに生きるに倦みたり。
(「帰郷」)
(Ⅰ詩人論/朔太郎の内的世界つづく…)

