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墨岡通信

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2010年12月16日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-50-

 例えば、詩集『月に吠える』にみられる表現のスタイルをただ単に性的な感覚とか、生を病む姿だととらえるよりも、私はその中に朔太郎が意識せずして感じとっていた母親の抑圧からの独立を企図する激しい息づかいを感じるのである。
 D・クーパーが述べたように、内的な家族(Internal Family)の抑圧から、母親の子供ではなく自分自身であることのイメージをみすえるためには、自分自身を<無>のなかになげいれていく行為が必要である。『月に吠える』が対象のない不気味な恐怖を唄えば唄うほど、朔太郎の表現行為は<無>の領域に近づいていくのである。
 しかし、現実には朔太郎の生涯にわたる自我構造をきわめて規範的なものとして決定してしまったのもこの母親であったと言ってよい。朔太郎は、ただ単に溺愛されて育ったのではない、彼は本質的に「どのように生きるか」を母親から示されたことは一度もなかったのである。
 吉本隆明は述べている。
 「三十づらをしながら、母に寄食している生活上の無能者であり、不和な結婚者として家庭失格者であり、だれも仕事とも文学ともみとめてくれない詩人であるというようなさまざまな根がからみあったろうが、朔太郎の性的な感覚の特質が、思想的な意味をもとめて流れはじめたとき、たたかわずして挫折した生活のかげが、朔太郎のこころを占めるにいたった。」(「朔太郎の世界」)
 詩集『月に吠える』から、『青猫』を経て『郷土望景詩』へ、そして『氷島』に至る朔太郎の詩的<完成>と、朔太郎自身が名付けた断章、「新散文詩」が「概念叙情詩」、「情調哲学」という呼称を経て、「断章」、「詩文風なる」へ、そして「アフォリズム」、「箴言」へと概念を変化させていく過程とは決して異質のものではない。
(Ⅰ詩人論/朔太郎の内的世界つづく…)

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