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2009年05月17日
カテゴリー:院長より
見果てぬ夢の地平を透視するものへ-31-
サルトルは彼の自伝的叙述の中で述べている。
「良い父親というものは存在しない。それは一般法則である。だからといって男たちを非難してはならない。非難されるべきは、腐ってじめじめした父と子の絆なのである。子どもを創る、そのことには非のうちどころがない。子どもを持つこと、ああ、それはなんと間違った行為だろう。もし私の父が生きていたら、彼は私の上に長々と寝そべり、私を圧し潰していただろう。運よく彼は夭逝した。(中略。)
しかし私は、ある秀れた精神分析学者の診断を喜んで承認する。つまり私は≪超自我≫を持っていないのだ。」(『言葉』)
だから、私は粒来哲蔵の家族の体験に固執しようとするのだ。粒来哲蔵を論じるとき、たとえそれが如何なる形であろうとも誰かが、彼の父と、彼の生いたちについて触れることがなくてはならないと私は思う。
幼年期を、粒来哲蔵と共に過すことが多かった粕谷栄市はかつて、次のように書いていた。
「彼の父は、世に謂う呑んだくれであった。非凡な才能と勤勉で、若くして成就したその人は、飲酒とそれに附随する悪徳で、彼自身の生涯を瓦解させ続けた。
その瓦解と流浪の過程が、そのまま、彼の成育の環境だった。夫に絶望した彼の母は、虚弱であるが、抜群の学業成績をもつ、一人子に、一切の回復を賭ける。個人の家庭のこの崩壊に、さらに、戦争という社会の崩壊が重った。」(「復権孤島への旅」)
粒来哲蔵にとって父親は二重の意味で桎梏であった。一つには、確実に粒来哲蔵は彼の父から破滅することによって生きていく人間の姿を教えられたことによって、もう一つは父と子、母と子、父と母という家族内力動のなかで遂に粒来哲蔵の超自我が破綻していくということにおいて。
(Ⅰ詩人論/我が粒来哲蔵論つづく…)