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2009年02月08日
カテゴリー:院長より
見果てぬ夢の地平を透視するものへ-18-
『死法』は何度言っても言いたりないほど息苦しい詩集である。山本太郎にとって、詩とは何か、という意味がいつのまにかまったく異なってしまったのではないかということが考えられる。詩が、山本太郎の生存と重くかかわってきたと言えるだろう。野たれ死ぬ、ということを山本太郎は意識しはじめたのだ。
だが、これは山本太郎の表現だけではない。一九六八年を境いにして、暗い影が表現行為を包み込んでいくようになる。山本太郎が意識しようがしまいが、時代の声は覆い隠すべくもない。
山本太郎の詩はどこに行くか、という問いかけは、すなわち私達の表現はどこに行くのかという問いかけと同じである。
私はいま、いくつかの苦しい鳥瞰図を描いている。
自分をだめにしていくことによって状況にかろうじて表現の糸をつなぎとめていこうとする生き方。個人の生きざま、死にざまに直接的につらなるやさしさを根源としていくこと。反権力!という言葉による、至るところのひらきなおり。反転の弁証法。
しかし、例えば、“反精神医学”の旗手であったR・D・レインの次の言葉の持つ意味は一体何なのだろうか。
「二十歳代のとき、わたしは善悪正否が解っているように思っていたが、しかしいまはわからない。」(「精神病者の魂への道」)
ここで、この論考は、冒頭のポール、ニザンの『アデン・アラビア』にもどらなければならない。そして、その時はじめて山本太郎の存在する位置のことが「山本太郎論」という在り方を超える地点で私の生存の中に想起されるような気がするのである。
私はやはり呟くのだ。山本太郎のように。
「心の卑怯だけはまぬがれてきた」
「心の卑怯だけはまぬがれてきた」と。
いまにして言葉を
想いの運搬などといえるか
おまえの女おまえのペニスは
言葉を蹂躙して
棒術の学習にはげむのであるし
おまえの舌おまえのペンは
活字をオハジキにして
遊ぶばかりだ
ならば想いなど
いっきにそぎおとし
壁のようなものとしてたち
沖積面を疲労の量の
信号としてあるけ
(「ランベルト方位図法による脱走できぬ谷地小景」)
(Ⅰ詩人論/山本太郎論つづく・・・)