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墨岡通信

成城墨岡クリニックによるブログ形式の情報ページです。

2011年04月28日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-57-

 M・ボスは次のように語ったことがある。
「存在しなければならないもののための、現出の場所として要求されていることのうちに、人間実在の意味があります。それに従えば、人間は、成仏を許されるように、その実在をまっとうすることができます。しかしながら、もし彼が自分の自由を、この意味を拒否することに利用すれば、彼は、自分の現存在にいつもなにか負目をもちつづけます。この実存的に負目のあることに、健康であろうと病的であろうと、あらゆる負目の感じと良心の呵責とが根ざしているのです。」
 ここで述べられているのは、心的現象としてのメランコリーの発生を開示性の問題として捉えることである。そして、それは同時に人間存在のもつ開示性という根本的様式を、母性との一体感のなかに体得する生き方の分析である。
 その間の問題を、ボスは「精神分析と現存在分析」の中で述べている。
 「現存在分析の観点からみれば、彼のものであり、それでもって彼が委託される生き方の諸可能性を、彼自身の上に責任もって引きうける意味で、彼自身であることに決して開いたことのない……。」

 ところで、私達はなぜ朔太郎の表現にこのようにまで心をひかれるのであろうか。なぜ、朔太郎が私達にとって問題とならなければならないのだろうか。
 朔太郎の内的な世界、自我の構造が、私達の希求する自我の構造とはまるでかけはなれたものであること、そして、朔太郎は、個人の心的現象のなかにおいても極端に開示性の閉ざされた存在であるということは、現在まで私が述べてきたことの一面での方法的結末でさえあるように思われる。にもかかわらず、なぜ私達は現にこのように、朔太郎を避けてとおれないのだろうか。

(Ⅰ詩人論/朔太郎の内的世界つづく…)

2011年04月15日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-56-

 朔太郎の、とりわけ詩集『青猫』の描き出す憂うつを基調とした表現世界は一体何ものの投影なのであろうか。
 私は、これらの詩が、朔太郎が遂には自我の同一性にまで沈降させた<自己愛>の屈折した映像にほかならないと考える。
 <自己愛>とはもともと厳しい内的な実体感によってささえられているものであり、それはまず母性との関係の内に定位されるものであるはずである。
 母が私を愛するように、私は私を愛する、のである。
 朔太郎が『青猫』を書き綴った時代は、朔太郎の最も激しい心理的動揺が認められる時代であった。それは、自分自身が内的にも、外的(主に経済的な問題として)にも父親から自立を強要されていた頃だった。無意識的な母親との心的共生状態と鋭く対比するものとして、父親の超自我が存在しはじめたのである。朔太郎のなかで非常に強固なものであったはずの生命の実体感=存在感が、それによって大きく崩れ去ったのである。
 こうした「心的外傷」が、朔太郎の自我を一定の方向へと大きく動揺させ、同時に詩的な表現として朔太郎自身もその由来を明らかに出来なかった憂うつ性を導き出していったのではないだろうか。
 朔太郎はやはりまぎれもなく「存在の悲しみ」を唄う詩人であったのだ。
 そして、その存在は、遠く母親の実体感へと結びつくのである。
 「穴」について、ウィニコットは、「乳房をむさぼり吸うことによって無を創造することだ。」と述べた。

  僕等はたよりない子供だから
  僕等のあはれな感触では
  わずかな現はれた物しか見えはしない。
  僕等は遙かの丘の向うで
  ひろびろとした自然に住んでる
かくれた万象の密語をきき
  見えない生き物の動作をかんじた。
  
  僕等は電光の森かげから
  夕闇のくる地平の方から
  煙の淡じろい影のやうで
  しだいにちかづく巨像をおぼえた
  なにかの妖しい相貌に見える
  魔物の迫れる恐れをかんじた。
 
  おとなの知らない稀有の言葉で
  自然は僕等をおびやかした
  僕等は葦のやうにふるへながら
  さびしいこう野に泣きさけんだ

  「お母ああさん! お母ああさん!」    (「自然の背後に隠れて居る」)

(Ⅰ詩人論/朔太郎の内的世界つづく…)

2011年03月25日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-55-

 それは、朔太郎の時代性、風土性とか、詩の論理とは、恐らくほとんど関係のない内的な事実であるように思われる。もし、このことが少しでも状況的な要因と結びあうのだとすれば、それは、朔太郎のみの問題ではなく、日本の近代詩の発達過程のなかで<詩人>とは一体何者であったのかという存在的役割、状況的役割の問題と不可分ではあり得ないと言っていいのだ。

 とりわけ、それは同時代の北原白秋や、室生犀星、そして(那珂太郎がくり返し実証した意味において)山村暮鳥や大手拓次といった詩人の状況的役割の問題と同一であるはずのものである。

 日本の近代詩の発達過程そのものが、「<詩人>としてしか生きられない人間」の原型を要請し、またそのような詩人と定着させてきたと考えることは非常に困難なことである。詩人の役割存在の問題については後で詳述することにするが、朔太郎のこのような強靭な自我の構造は、鋭く朔太郎の内的な現象に根ざした出来事だと考えざるを得ないのである。
 

  しののめきたるまへ
  私の心は墓場のかげをさまよひあるく
  ああ なにものか私をよぶ苦しきひとつの焦燥
  このうすい紅いろの空気にはたへられない
  恋びとよ
  母上よ
  早くきてともしびの光を消してよ
  私はきく 遠い地角のはてを吹く大風のひびきを
  とをてくう、とをるもう、とをるもう。
               (「鶏」)

(Ⅰ詩人論/朔太郎の内的世界つづく…)

2011年03月02日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-54-

II

 「詩は私にとつての神秘でもなく信仰でもない。また況んや『生命がけの仕事』であつたり、『神聖なる精進の道』でもない。詩はただ私への『悲しき慰安』にすぎない。
 生活の沼地に鳴く青鷺の声であり、月夜の葦に暗くささやく風の音である。」
                           (「『青猫』」の序)

 萩原朔太郎の内的世界について論じながら、私は前章で、朔太郎が激しい内的な情動によって自分自身をカッコつきの<詩人>という存在へと同化させようとする自我の構造(Identity)と、その内的な情動をつき動かしていたはずの、朔太郎とその母との精神的な共生(Symbiosis)の問題について簡単に示唆しておいた。
 朔太郎のこうした自我の構造に関連して、ここで私がもう一度くり返して述べておかなければならないのは、次のようなことなのである。
 私達が現実に日常の諸層とかかわりあいながらさまざまな、内的・外的な抑圧に耐えて生きながらえていくことのためには、何よりもこの自我同一性という規範から自己を可能な限り遠くへ、そして遠く解き放つことであるように思われる。
 何故なら、この時代の息苦しい管理的、権力的構造が、幾多の自我同一性規範をその抑圧の内的な根拠としているとき、私達の内的な要請である非権力的な生き方は、必然的に人間的表現への希求と、表現の方法とによって自我同一性に乗り超えるべく飛躍しなければならないことに教えてくれるのだ。
 だからこの時代、私達の表現の根拠は、まさに至るところ、あらゆるところで、自我同一性(Identity)から離れ、自由であるところに存在するのである。
 しかし、朔太郎はその同一性において、自分自身を「<詩人>としてしか生きられない人間」としてあまりに早く規定してしまったものとして、表現行為の根拠にむかう。
(Ⅰ詩人論/朔太郎の内的世界つづく…)

2011年01月18日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-53-

こうした朔太郎の断章はほとんど彼の死の直前にまで綴られる。そうして、朔太郎が万感の想いを投じて書き記した「小泉八雲の家庭生活」は彼の死の前年の作であることを考えると、この詩人の孤独と自我の構造が、母からの自律、日本近代文学からの自律、そして彼の表現世界を外的に規定してしまうことになった時代の不可避的な流れからの自律という重苦しい重層の抑圧に対峙する激しい抵抗によってつらぬかれていたと考えることができるように思われる。

 このような重層構造のなかで、朔太郎の詩人としての自我同一性は強固に形づくられ、それが逆に詩人の存在そのものを規定していってしまったのである。

 私は、いま、A・グリーンの一つの言葉を想起している。

「『オイディプス王』を類まれな悲願とするならば、根本的に問われねばならないことは、あの悩ましく冷酷な疑念、そして知の陶酔がなぜ親殺しと近親相姦に解きがたく結びついているのかである。」(「オイディプス王・神話か真実か」)

 朔太郎を想うとき、私がなげかける一つの場違いな(!)比喩である。
(Ⅰ詩人論/朔太郎の内的世界つづく…)

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