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墨岡通信

成城墨岡クリニックによるブログ形式の情報ページです。

2019年12月08日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-172

 昭34年10月より院内作業(木工)に従事するようになった。昭35年6月、弟から、退院させて自分の店(箱つくり)で働かせたいと話がある。当時、分裂病の欠陥状態と認められるとの記載がある。昭35年6月27日、精神衛生法措置のまま仮退院として、様子を見ることになった。しかし、長続きせず、昭35年7月17日再び症状が出現して入院した。
退院后、弟の店で木箱に紙をはる仕事をしていたが、1-3日前より再び刃物による自傷行為が出現してきた。再入院の前日には、おもてを歩いていた行商の豆腐屋をいきなり理由もなく殴った。不眠が続き、独語、空笑も再び出現するようになった。
 再入院后、しばらくして、幻聴もあらわれてきた。
 入院后、電気ショック5回。向精神薬投与による治療。
 昭40年頃には病状も軽快し、昭40年10月より昭43年4月まで、作業病棟(開放)に移り、病院内の作業をよくやっていた。
 その后、過労性、腰痛などの理由で、作業のない開放病棟に移ってきた。
 昭50年5月より、私が病棟の担当主治医となったときには、精神科的異常体験、幻覚、妄想などは認めず、軽度の情意鈍麻を認める。比較的無口だが自閉的というほどでもなく、病棟内の各種当番をかなり積極的に行っていた。

(Ⅳ私的表現考/世界の病むこと つづく…)

2019年11月07日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-171

更新が大変遅くなり申し訳ございません。

≪N.Hさんのカルテから。≫
現病歴 昭27年頃発病(精神分裂症)。全然、口をきかなくなった。
一時単身で川崎方面のバタ屋に住みこんでいたことがあったが、昭33年11月に弟夫婦にひきとられて同居。当時は空笑が認められる程度で、家でブラブラしていたが、昭34年2月頃より外出しなくなり、拒食などするようになった。また、自己の体に刃物で傷をつけたり、夜間臥床時に刃物を際に置いてねたり、重いもの(石や鉄塊等)を自分の足の上に落して自傷する。
自傷行為著明なため、昭34年5月1日、当院に精神衛生法による措置入院となる。
入院時現症、両足に裂傷・腫脹が著明。全身に、自傷行為による傷の瘢痕が多数認められる。
無口、硬い顔、時に空笑いを認める。
「死んだ女の人と性交をした。見えはしないけれど、おしゃかさまがそこにいる。」
「馬鹿野郎という声がする。誰かから体をたたかれたり、けられたりする。」
「今、見えない女の人が自分にだきついている。誰かと(性交を)やっていないとすまない。昔のえらい女の人、神代時代の人――おとたちばな姫。便所にいけば(性交が)とれるというわけで、便所にいってもやっぱりとれない。」
「死んだ女の人が抱きついている。清水次郎長の奥さんが抱きついている。」
等々をくり返し述べている。
家族歴 両親死亡。姉四人、弟一人の五人兄弟の長男。兄弟はすべて健在で、本人以外はすべて既婚。精神科的遺伝負因は認めない。
学歴 旧制中学を戦争のため2年で中退。
入院后 電気ショック7回、向精神薬与による治療。その後、次第に精神状態がおちつき、幻聴、妄想なども軽快し、言語、思考もまとまってきた。

(Ⅳ私的表現考/世界の病むこと つづく…)

2019年05月28日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-170

具体的な一つの方法として、私達は長期入院患者を伴って、その肉親への家庭訪問を実践することにした。その第一の対象として、精神衛生法第29条による強制措置入院を、主として経済的な理由から解除できないでいる患者をとりあげるべきだという判断が私達にはあった。病院、ケースワーカー等と福祉事務所との間の疎通のなかで、このような患者を単に書類上の決定として、措置解除→生活保護による同意入院、への変更はむしろ簡単におしすすめられることになっていたが、私達はこのことに満足してはいられなかった。患者を、ともかく家族の集中的な力学の渦のなかに立たせなければ、将来への展望など何一つ生まれ得ないと私達は考えていた。

50年6月から、私と病院ではベテランのケースワーカーであるWさんとは、チームを組んで長期入院患者の家庭訪問(患者を伴って)を行うことにした。

以下に述べようとするN・Hさん(38才男)の場合もその一つのケースである。
N・Hさんの家庭訪問は、6月の末に近く真夏のような陽光が照るむし暑い日だった。

(Ⅳ私的表現考/世界の病むこと つづく…)

2019年02月21日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-169

私達の考えが、“反精神医学的”といわれようが、“新しい精神医学”といわれようが、そんなことはきわめて現象的なことなのであって、その本質は、豊かな人間性に支えられた、失われた開示性の回復の過程へむけての共同作業なのである。

それでは、病院のなかに十数年以上も入院させられたきりになっている障害者に対しては一体どうしたらよいのだろうか。

私達はこのような“分裂病の欠陥状態”、あるいは“荒廃した分裂病”と名付けられた人間に対する<精神医療>の構造をめぐって模索を続けてきた。

しかし、過去の精神医学と医療とが果してきた巨大な役割のなかで、私達の営為はどれをとってみても卓越した手段とはなり得ないでいた。しかも、私達は単に思弁的でいることは許されない。とにかく、その人間をめぐって今ここで何かをしなければならないのだ。こうした状況から、沈殿した<分裂病>の患者さん達をめぐる、精神医学的、社会的状況の再検討という課題が頭をもたげはじめてきていた。

これら、精神障害者の本当に背後にあるものは何か。果して何が一番の抑圧なのか、という原始的な疑問を軸にして、私達は考えていこうとしていた。

(Ⅳ私的表現考/世界の病むこと つづく…)

2019年01月15日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-168

この精神病院のなかに(それが閉鎖病棟であれ、開放病棟であれ、作業病棟であれ)、二十年以上、あるいは十数年間も入院させられ、そしてそれ故に退院の見とおしもたてられない精神障害者の存在は、私たちにとってきわめて重い意味を持っているのである。

私達は、病院の機能上だけでなく疾患(多くは精神分裂症と名付けられた)の症候論においても次のような視点を措定しなければならないことを感じている。

<分裂症>を発病してまもない人間に対する<治療>および<医療>の問題と、これら病院に沈殿し、退院することのできない人間に関する治療とは、まったく別のものとして把握されなければならない。そればかりでなく、このような<分裂症>を病んでいる二つの側面の人間の生き方、そして<分裂病>そのもののプロセスも、まったく別のものとして理解されなければならない。

沈殿していかざるを得ない精神障害者は、過去の精神医学と、精神医療が意識的・無意識的に行ってきた<治療>の巨大な非人間的遺物だと私は考える。私達は二度と、同じ誤りをくり返してはならないのだと、肝に銘じておかなければならない。

そのために、現実に<分裂病>を発病したばかりの人間に対して、私達は絶対的に(!)積極的な対人的・対社会的な働きかけを行っていこうとしているのである。

(Ⅳ私的表現考/世界の病むこと つづく…)

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