ホーム >> 墨岡通信(院長より : 18ページ目)

墨岡通信

成城墨岡クリニックによるブログ形式の情報ページです。

2016年08月22日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-140

入院してからの彼女の主治医は、私ではなかった。私が彼女の存在を知ったのは、当直の夜、廻診時であった。当時、彼女は大学ノートに毎日の日記と、おびただしい詩を記していた。彼女自身の心的、内的葛藤を詩に託して、“詩が書けない状態が一番つらい”と訴えていた時期でもあった。私との二、三の会話、そして主治医を通しての話から私自身が詩を書くという行為を続けていることを知り、私に少しずつの詩の話をしてくれるようになった。私も、不規則な形ながら治療関係を逸脱しない場面での詩の話を中心に彼女と対話をくり返すことになっていた。

彼女は48年9月10日に入院、12月20日に退院した。退院時の状態。

Conversion Hysterieの疑いで入院。他の器質的疾患も一応考慮に入れて種々検索の結果、器質的疾患は否定。生活史、心理テスト、面接を重ねた結果、本人の性格の未熟性、情緒的緊張が種々の場面、特に人間関係に於いて高く、その辺が身体の硬直につながっていくという事がわかり、本人もそれを自覚し、発作は少なくなった。一時はしばらく全く消失した。しかし、退院が具体的となり職場に戻る事が近づくにつれて、不安が増強し、発作が続けておきた。それについてよく納得してもらい。一応12月20日に退院し徐々に職場に戻っていくように本人も同意した。

(Ⅳ私的表現考/表現の現象学 つづく・・・)

2016年08月07日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-139

だから、私はまず、何よりも私自身の生き方のために新しい表現論、新しい精神医学を考え出していかなければならないことを思っていた。私自身の生き方に触れて、既存の体系のどれを抽出してみても、私には人間対人間の(断じて対人関係論などというものではなく)心的現象を通してのかかわりあい方に満足できるものはなかったと言ってよい。

Fさんのカルテに記載された疾患名。

“Conversion Hysterie.”

彼女がはじめて私の勤務していた大学病院を受診したとき。

主訴。手足の硬直しびれをともなう発作。

経過。48年8月13日、友人が自分の部屋に泊りに来た時に急に気分が悪くなり、手足硬直、呼吸が荒くなり救急車でM病院に入院した。翌日には軽快退院し、郷里の高田市に帰り一週間休養した。地元の病院にて精査を受け、脳波異常と言われた。上京後、再び同様の発作があり、再びM病院に入院した。しかし硬直発作は改善されず、物を考えたり、トイレでいきんだりすると硬直発作を起す。M病院では、“過呼吸症候群”、“テタニー”などと考えていたが、現在では心理的なものを疑っている。発作時には、袋をかぶったり、フトンにもぐったりする、当病院にて精査のために来院し、入院となった。入院当時も朝から両下肢は硬直し、歩けない状態であった。

(Ⅳ私的表現考/表現の現象学 つづく・・・)

2016年07月10日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-138



私はいま、一枚のレコードを聞きながら、さまざまに想いを馳せている。深夜。

レコードは、チック・コリアの「リターン・トウ・フォーエバー」である。

このレコードを私は一人の女性から贈られた。Fさん、21才。ある大手の銀行に勤める調理師である。

私と彼女との出会いについては後述するが、私は三ヶ月以上の間、一人の精神科医として個人的に“精神療法”という形で彼女と接してきた。彼女の内部の世界、心のほんの些細な一片と私は対話してきた。

私にとって“精神療法”とは一体何かという問いかけと、その問いかけを行おうとする私の立場とが、まさに粉々に崩れかけてしまっている現在、学問とか医療とかを包含してなおかつ私と彼女との結びつきの意味を考えざるを得ないのだ。

私は精神医学という医学の一分野のなかでは、その疾患の如何によらず、治療という概念を第一義的にかかげたくないという逆説を主張する者の一人である。疾患対治療者という限定された図式の内に半ば権力的に安置されてしまう構図はもちろん、個人の内的世界を抽象して取り扱うことにも私は批判的である。

再び世代論に及ぶ訳ではないけれども、私達の世代が経てきた状況の網のなかで、私はやはり私自身の生き方を厳しく限定せざるを得ないことを感じている。たとえ、表層的にどれほど日常的勤勉に、権力的立場に処遇していても、現在は“冬の季節”であるという事実がまず前提として扱われなければならないのだ。

(Ⅳ私的表現考/表現の現象学 つづく・・・)

2016年06月26日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-137

私達はもう一度、個々人の<人間>にもどらなければならない。そこからやりはじめなければならない。詩が単に、とぎすまされた感性の所産にとどまらず、美しい虚像であることとは対極の困難に生きることのための状況との緊張関係として存在する日のことを私は想わないではいられない。だが、その時私達はただいたずらに人間の内部意識について語ってはならないはずなのだ。“狂気”そのものがこんなにも簡単に文字として定着していってしまう時代を作り出したのは一体誰なのか。自分自身の意識のなかでおこなわれていることにあまりに無関心でありながら、客観的な狂気の連想へと自己の存在的歪みを何のためらいもなく重ねてしまう総ての人間には、もはや病者の持つ根源的な正直さもないのである。

「今日われわれはヨーロッパの停滞に立会っている。逃れよう、同志たちよ、この停止してしまった動きを――そこでは弁証法が少しずつ、均衡の論理に変貌した――。人間の問題を再びとりあげよう。脳髄の現実の問題、全人類の脳髄全体の問題を、再びとりあげよう――その結合を増し、その網の目を多様にし、その伝える言葉を再び人間化することが必要だ。

さあ、同胞よ、われわれは、後衛のゲームでたわむれているわけにはゆかない。あまりに多くの仕事がありすぎるからだ。ヨーロッパは、ヨーロッパのなすべきことを行った。それも結局のところ、なかなかよくやってのけた。ヨーロッパを告発することはもうやめにしよう。そしてヨーロッパにはっきりと、いつまでもそんなに騒ぎたてるべきではないことを告げようではないか」(フランツ・ファノン)

いまもなおファノンの表現が私達に感動的であるのは何故なのか。
(Ⅳ私的表現考/表現の現象学 つづく・・・)

2016年06月13日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-136

例えば、エリクソンがあまりにも有名な彼の“自我拡散症候群”(Identity diffusion syndrom)の叙述のなかで人間存在の内部的在り様と、外部的在り様とを対応させ、この二者の統合を可能にしたと確信したとき、エリクソン自身の目に映っていたのは個人の具体的生き方に関する現象ではなく、客観的行為を<おれ>と<おまえ>という対立した視点に分解してしまったうえで<おまえ>を<おれ>の中に強引に組み入れてしまおうとする残酷な論理の構造であったことを忘れないでいたい。論理的にいかに明確であっても、それがすなわち人間の存在へと結びつかないことは誰でもが知っている。知っていながら何故論理を求めるのか。それはあたかも、この“現実”が理論を先取りしてしまう現代という時代の不安を象徴しているかのようである。

(Ⅳ私的表現考/表現の現象学 つづく・・・)

新しい記事を読む 過去の記事を読む

ページのトップへ