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墨岡通信

成城墨岡クリニック分院によるブログ形式の情報ページです。

2023年12月28日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-207

状況的精神医学の実践的役割のもう一つの方法は、精神医療をめぐる法律的解釈のなかで≪患者≫の人権と人間性とを復権させることである。

精神医療が日常的にかかわっている法律は、直接的な大黒柱としての精神衛生法をはじめとして、憲法、民法、刑法、等々といった基本的な法律にまで及んでいる。

最近の我が国における精神医療をめぐる法的解釈の諸問題は残念なことに世界的規模で再点検されている精神医療への司法の介入という現象に触発されたものである。我が国における社会精神医学、病院精神医学のたちおくれは既に一九六八年のWHOによるクラーク報告書によっても鋭く指摘されていた。

「今までオフリミットとして病院内部の管理にまでは介入しなかった裁判所がその態度をかえ、精神医学が今日の状態にまで精神医療を荒廃させ、社会的行動を必要とするようにしてしまったのだから、精神病院の内部の管理にまで介入するのは当然である」(寺嶋正吾「精神医療改革への手がかり」)というような判断にもとづいた世界的規模での現象が実際にいくつかの成果をもたらしはじめている。だが、こうした成果の一つ一つは法律家内部の問題ではなく、その一つ一つの具体的事例にかかわった精神科医・パラメディカルのスタッフ、障害者とレッテルをはられた患者達のねばり強い運動の結果であることを確認しておかねばならない。

歴史的に見ても、このような形での司法精神医学を前進させてきたのは、例えばT・サスや、T・シェフなどといった社会精神医学の提唱者であったし、M・P・L・P(Mental Patient‘s Liberation Project)などに代表される≪患者≫たちであった。

このような人たちは医学的にあいまいな精神分裂病概念の廃棄を要求し、その精神分裂病概念が社会的共謀のなかで機能していることをラベリング理論のなかで明らかにしつつ、司法精神医学への具体的提言を行ったのである。

(Ⅴ状況のなかの精神医学/状況のなかの精神医学 つづく…)

2023年11月15日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-206

「施設にかんする研究の中で、バザリアは、どのようにして≪病者≫が精神病院にみずからを病院化させ、医者や看護者の恣意に従い、権利もなく、また訴える力もなく自動的に病院の住民となってゆくかを明らかにした。彼はまた施設という次元では相互関係が存在しえないという事実はどうにも隠蔽しようがないと言っている。」

精神病院の成立基盤となっている社会経済的問題を含めて、その精神病院の内部システムを実証的、科学的に把握することによってそのシステムを変革するための糸口を見出すことが今後の状況的精神医学の方向の一つであると考えることができる。

そして、そのためにはただ単に精神医療にかかわる人々の方法論だけでなく、広く社会学をはじめとする諸学との連帯が必要となるであろう。連帯のなかで問い続け、問い続けることによってあらゆる非合理性、非人間性を白日の下に晒しださなければならないのである。

(Ⅴ状況のなかの精神医学/状況のなかの精神医学 つづく…)

2023年08月31日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-205

こうした事実は、単に運動論の誤謬であったというよりも、むしろ私達の個々の病院なり地域なりの構造の認識と現状分析が充分でなかったと考えることができる。

問題は、精神病理学における精神分裂病概念の破綻とか、疾病分類上の矛盾とかいったものだけではなく、疾病概念以前に存在する精神病院と地域精神医療網の本質的不合理性に存在するのである。日本における病院精神医療の内実がこれほど荒廃していなければ、私達は個人対個人という出会いのなかで、一人の<精神障害者>と内的世界の一部を確かに交流させることができたはずだ、というのが私達の基本である。

ところで、マックスウェル・ジョーンズの実践に対して、イタリアにおける反精神医学の代表的実行者であったフランコ・バザリア(Franco Basaglia)は「愛だけでは不十分である」(Love is Not Enough)として鋭い批判をなげかけた。(この問題についても前章の「私的表現考」で触れてある。)

バザリアの根本的認識は、患者にとっても治療者にとっても治療とは政治的な行為である(Therapy is a political act)ということにかかっていたといえる。

モード・マノーニは『反―精神医学と精神分析』のなかでバザリアに触れて次のように述べている。

「イタリアの精神科医たち(フランコ・バザリア)にとって、問題は病院を人道的にすることでもなければ、ましてや解放的な病院でも一般社会と交流のない小社会をつくっているにすいないという事実をいいたいのでもない(技術的に治癒した≪患者たち≫は、入院生活に甘んじて日々を過すべく追放されているのであり、決してそこから抜け出すことはできない)。彼にとって問題は、≪精神疾患≫が今日の社会的文脈のなかでいかに理解され、いかにとり扱われているか、ということであった。精神医学的試みの根底に見出されるイデオロギー的妥協こそが問題なのであり、それは精神科医の依拠している疑似―科学的基準から直接に導かれる帰結なのである。」

(Ⅴ状況のなかの精神医学/状況のなかの精神医学 つづく…)

2023年07月29日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-204

そして、彼は次のように結論づけているのである。

「システムを変革する方法についての我々の理解はまだ始ったばかりである。しかし、Open Systemが雇用者と被雇用者、教師と生徒・精神科医と患者にとって自己実現の可能性を高めるという事を示唆するのに充分なモデルが既に産業や学校や病院の中に示されている。」

一見して明らかなように、ここにはイギリス知識人に独特な楽天主義が表れている。だが、それはそれで一笑に付すことができないのは、マックスウェル・ジョーンズの場合この背後に厳しい実践に裏うちされた信念と確固たる理論の構築があるからである。しかし、それよりも私が新しい状況論としての精神医学の一つの質としてシステム論に触れたのは次のような理由によるのである。

反精神医学の基本的な流れがそうであったように、私達の状況論はまず何よりも一人の個人の置かれた<状況>にどのように私自身がかかわっていくか、その<状況>をどのように“治療”していくかという問題の設問から始ったのだった。そのとき、私達の脳裏にあったのは、或る個人の<状況>を変革することによって、私達がかかえもつ精神医療総体としての<状況>に対処し得るだけの実践・運動の方向性とそれを支える理論とが導き出されるのではないかということであった。或る個人にかかわることによって、一点突破を計ったと言ってよいだろう。

当時、私達のなかにどうしようもなく精神分析学の最近の流れに対する共感が芽生えていたのも同じ理由からだと言ってよい。

しかし、現実にはこうした運動はついに実を結ばなかった。個人の<状況>に深く深くかかわっていた精神科医達は、巨大な産業構造の谷間に存在する、権力構造としての精神病院の奥深くに閉じこめられたかっこうで細々と実践し続けるか、或いは完全にその精神病院からも排除されてしまったのである。

(Ⅴ状況のなかの精神医学/状況のなかの精神医学 つづく…)

2023年07月04日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-203

このマックスウェル・ジョーンズも一九七四年には、治療共同体理論を一歩前進させた精神医学のシステム論ともいうべきSystem Theoryを投げかけてきた。

一九五七年にミルトン・グリーンブラットが社会システムの中の精神科医(Social System Clinician)のモデルを唱えているが、マックスウェル・ジョーンズのシステム理論もその延長にある。すなわち、個人(患者)だけを治療するのではなく、その個人(患者)が組み込まれている社会的状況(Social System)を治していく精神科医のあり方の提示である。

マックスウェル・ジョーンズはこのシステム理論を彼自身が実践している治療共同体のなかにあてはめて、開かれたシステム(Open System)という未来像を語ろうとする。

Open Systemとは、外からの影響に対して開かれているのみならず、内に対しても開かれているような、即ち、様々な矛盾や問題を各メンバーが責任を持って効果的に解決する事が出来、それを学び続ける事が出来るようなシステムである。

マックスウェル・ジョーンズは述べている。

「社会的システムは『閉ざされたもの』から『開かれたもの』までの範囲で存在している。実際には誰もが比較的閉ざされたシステム(学校、家庭、大学、産業構造、等)の中で育つ。そのようなシステムを開く方向で変える事は必然的に不安と抵抗をひき起す。

精神医学が所謂治療と呼ばれるものを越えて、その機能を拡大し社会的諸問題の中に入り込んでいくならば、そこには新しい技術と新しい見通しが要求される。」

「薬物依存(中毒)を“治療”することはその基底に流れている社会的問題を回避してしまうことである。人種問題を客観的なオブザーバーとして語る事は無気力(impotence)を体験することである。」

(Ⅴ状況のなかの精神医学/状況のなかの精神医学 つづく…)

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