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2022年08月27日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-196

レインは、発達心理学、自我心理学とは異った立場から家族関係論を展開してきた。『狂気と家族』、『家族の政治学』等を通して家族相互関係のモデルと、家族全体の歪み、そのなかで形成される「分裂病」、家族全体の歪みの結実としての病者(Identified person)等々の問題を提示してきた。こうした一連の家族関係論の中から、レインが後に存在と認識の二元論を飛び越えてしまう方法論がはぐくまれるようになったのである。

その最初の展開はやはり、一九五六年にグレゴリイ・ベイトソンによって提示された二重拘束の理論の導入である。ベイトソンはニューギニアの文化人類学的研究のなかから二重拘束理論を発見したが、レインはまず、家族関係論へ、そしてさらに対象関係論へと精力的に押し進めていった。

例えば、二重拘束の最も簡単な例は親が子供に対してある行為をとろうとするとき、言葉によっては子供に対して許容的、肯定的であるにもかかわらず、顔つき、身振り、態度その他非言語的表現によっては拒否的、否定的な場面に子供が直面させられ、そのいずれの選択によってもジレンマに陥らざるを得ない時、その子供はその親から二重拘束を受けている。

「ベイトソンはこのような、解決不能の『如何ともしがたい』状況という範型をつくりだしたのです。これはとりわけて自己のアイデンティティ(同一性)にとって、つまり自己が自己であることにとって破壊的な性質のものであって、分裂病と診断される人の家族内コミュニケーションのパターンに関係があるとされました。」(『経験の政治学』)

「われわれは、一人の人間が分裂病と見なされるようになるときの社会的出来事をめぐる現実状況を研究したのですが、それらのケースにおいて、分裂病というレッテルを人びとに貼らせることになった彼らの経験と行動とは、例外なくその人間が行きうべからざる状況を生きるために発見した、とっておきの戦術であるように、われわれには思えるのです。その人間は自分の生活状況の中で自分が自分をまもりがたい位置にあると感じるようになっていきました。彼は動くことも動かないでいることも、ともに出来ない。」(同前)

(Ⅴ状況のなかの精神医学/何故、今、レインなのか? つづく…)

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