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2011年03月25日
カテゴリー:院長より
見果てぬ夢の地平を透視するものへ-55-
それは、朔太郎の時代性、風土性とか、詩の論理とは、恐らくほとんど関係のない内的な事実であるように思われる。もし、このことが少しでも状況的な要因と結びあうのだとすれば、それは、朔太郎のみの問題ではなく、日本の近代詩の発達過程のなかで<詩人>とは一体何者であったのかという存在的役割、状況的役割の問題と不可分ではあり得ないと言っていいのだ。
とりわけ、それは同時代の北原白秋や、室生犀星、そして(那珂太郎がくり返し実証した意味において)山村暮鳥や大手拓次といった詩人の状況的役割の問題と同一であるはずのものである。
日本の近代詩の発達過程そのものが、「<詩人>としてしか生きられない人間」の原型を要請し、またそのような詩人と定着させてきたと考えることは非常に困難なことである。詩人の役割存在の問題については後で詳述することにするが、朔太郎のこのような強靭な自我の構造は、鋭く朔太郎の内的な現象に根ざした出来事だと考えざるを得ないのである。
しののめきたるまへ
私の心は墓場のかげをさまよひあるく
ああ なにものか私をよぶ苦しきひとつの焦燥
このうすい紅いろの空気にはたへられない
恋びとよ
母上よ
早くきてともしびの光を消してよ
私はきく 遠い地角のはてを吹く大風のひびきを
とをてくう、とをるもう、とをるもう。
(「鶏」)
(Ⅰ詩人論/朔太郎の内的世界つづく…)

