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2011年01月18日
カテゴリー:院長より
見果てぬ夢の地平を透視するものへ-53-
こうした朔太郎の断章はほとんど彼の死の直前にまで綴られる。そうして、朔太郎が万感の想いを投じて書き記した「小泉八雲の家庭生活」は彼の死の前年の作であることを考えると、この詩人の孤独と自我の構造が、母からの自律、日本近代文学からの自律、そして彼の表現世界を外的に規定してしまうことになった時代の不可避的な流れからの自律という重苦しい重層の抑圧に対峙する激しい抵抗によってつらぬかれていたと考えることができるように思われる。
このような重層構造のなかで、朔太郎の詩人としての自我同一性は強固に形づくられ、それが逆に詩人の存在そのものを規定していってしまったのである。
私は、いま、A・グリーンの一つの言葉を想起している。
「『オイディプス王』を類まれな悲願とするならば、根本的に問われねばならないことは、あの悩ましく冷酷な疑念、そして知の陶酔がなぜ親殺しと近親相姦に解きがたく結びついているのかである。」(「オイディプス王・神話か真実か」)
朔太郎を想うとき、私がなげかける一つの場違いな(!)比喩である。
(Ⅰ詩人論/朔太郎の内的世界つづく…)

