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2021年08月30日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-187

レインや、クーパー等の反精神医学について、アンリ・エイは鋭い批判をあびせたが、それは、反精神医学の本質を単なるアナキズムと受けとっての論旨であり、反精神医学の本質にせまるものではあり得なかった。しかし、アンリ・エイの言うように反精神医学は論理矛盾を自らかかえこんだものであり、その論理からすれば、反精神医学も反反精神医学も定立可能となり、とどまるところを知らないという点は、一面では真実であろう。というのも、レインの考えは、人間をどこまでも諸関係の平面としてとらえようとするものであり、いかようにも止揚できないありかたこそが人間精神の本質であるからである。レインが“航海”と名づけるのも、レインにとって垂直の上昇の存在が否定されているからにほかならない。

また、レインが詩的表現へと傾斜していく契機にもそれはなっているのである。まさにレインにとっての詩的表現こそが、レイン自身の航海の軌跡であり、レインを治療者として存在させている大きな要因であるのである。


解釈者と同じく、治療者も、自分にとっては奇妙な別な世界観のなかに身をおく能力をもっていなければならない。そのために治療者は、おのれ自身の潜在的精神病を手がかりにする。だからと言って、精神的健康を放棄するわけではないが。(レイン『引き裂かれた自己』)


私は想うのだ。レインの言うように詩を書くことが困難な時代だということは、すなわち表現論そのものが困難だということに相違ないことなのだ。そして、こうした時代の背景にはきまって多くの抑圧の構造が存在している。

だから、いつの日にか、何故私は詩を書くのかという問いかけを、単に自己の内的契機としてではなく、状況の自己への侵入と、その機制に対する抑圧の構造として把えなおす必要がありはしないだろうか。

(X状況のなかの精神医学/詩と反精神医学と つづく…)

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