成城墨岡クリニックによるブログ形式の情報ページです。
2023年04月27日
カテゴリー:院長より
見果てぬ夢の地平を透視するものへ-201
こうして、精神病院がその立地条件のもとにすんなりと機能しているとき、そこに一体どのような医療状況がうまれてくるというのだろうか。
交通不便な山の中に精神病院を作らせ、障害者を隔離しておきながら医療として語る社会復帰云々も何もない。このとき例えば、交通不便な場所にしか精神病院は作れなかったはずだというのはとんでもない論法なのであって、それは各々の条件下でどこにあっても苦しい状況に追いこまれている精神病院変革の運動が既に身をもって明らかにしていることである。
精神医学を、真に狂人と共にあるものとして把握するための一つの方法として、私達は状況のなかの精神医学の措定を希求してきた。このとき、私達の最初の共感は当時全世界的に吹きあれていた精神医学概念への挑戦、すなわち反精神医学運動に注がれたのだった。R・D・レイン、D・クーパー、T・サス、などといったそれぞれ細部の論点ではかならずしも一致しない人物達の鋭く激しい主張は私達の精神科医としてのアイデンティティを確実にゆるがしたのであった。
しかし、あれほど激しく吹き荒れた反精神医学運動も一九七五年頃から下火になっていった。原因はいくつかあげられるだろう。各々の理論がその実践を通して鋭くためされることによって、反精神医学を主張する一人一人の基本的認識が遂に離反していってしまったこと、状況の変革を主張しながら、あまりにも巨大な権力構造の前にたたきつぶされてしまったこと、変革をラディカルにラディカルにと突きあげていった人々が、遂に抑圧をされる側の狂人と大衆の支持をも見失ってしまったこと………………。
しかし、こうした反精神医学の変遷は決して絶望的な状況を描き出している訳ではない。R・D・レインがますます抽象化された意識の深奥に下降して行き、D・クーパーがそれとは正反対に自己を中心として至るところでの反権力的な組織作りを目指していこうとするとき、私達に提供してくれる多くの理論的・実践的認識の所産は過去に根ざしているのではなく人間の豊かな未来を指向しているのだから。
(Ⅴ状況のなかの精神医学/状況のなかの精神医学 つづく…)
2023年01月07日
カテゴリー:院長より
見果てぬ夢の地平を透視するものへ-200
状況のなかの精神医学
現在、私達が日常生活の諸層のなかで、人間の狂気について語り、狂人(ありえね)について触れ、この狂気をとりまく最も蓋然的な方法論としての精神医学に関与するとき、それはまさに人間の精神障害を現代日本の医療的、経済的、政治的、法的状況として把握すること以外のなにものでもない。
狂人(ありえね)とは、まさしく古典的に疎外(ありえね)以外のなにものでもない、と言い切ることとは別に、現在もなお進行中の現実的収奪の構造としての医療状況に私達は目をむけなければならないのである。だから、ここでは精神医学そのものも状況論としてしか定位できない。
かつて、はなばなしく狂気の復権が唱えられ、<症状>としての狂気が人間の深奥を照すものとしてもてはやされた。それはそれで事実なのだろうが、私達はこうした文学的レベルのなかでは、遂に狂気さえも狂人からみごとに奪いとられてしまうという苦い構図を手にしただけであった。さらに、私達は一歩足を踏み込んで状況論として狂人を見つめ得る地平にまで達してしまったというべきかも知れない。(前章の「私的表現考」にその間の私的状況は詳述しておいた。)
人が精神病院(その80%以上が私立精神病院である。)に何らかの理由で足を踏み入れることがあったならば、まずその人は精神病院の立地をめぐってひとまわり歩いてみるとよい。精神病院の立地条件ほど、その精神病院の内部の構造を象徴しているものはない。それは、その精神病院の歴史をもの語り、その精神病院の質をもの語り、その精神病院の地域における機能をもの語っている。
そして、このことに関する認識がなければ私達はその精神病院の内部で行われている精神病者に対する<医療>について何事も触れることはできないのだ。
さらに、視野を広めて、何故このように精神病院が地域の一区域に偏在し、なおかつ乱立しているのだろうかと問い続けるとき、私達の認識は精神病院をめぐる経済学と治安管理を中心とした国家的規模での法的政策の問題とにまで直結してしまうのである。
(Ⅴ状況のなかの精神医学/状況のなかの精神医学 つづく…)
2022年11月29日
カテゴリー:院長より
見果てぬ夢の地平を透視するものへ-199
私はいつも、レインの表現に接する時、二人の人間のことを考える。その一人は、松下昇のことであり、もう一人はフランツ・ファノンである。かつての、神戸大闘争の中での松下昇の表現のことを私はまだ忘れないでいる。フランツ・ファノンについての私的解釈は、折に触れて、雑誌『詩学』に連載中の「私的表現考」に書きつづり、またこれからも書き続けていくつもりである。
レインは語っている。
「詩とよばれるものは、おそらくコミュニケーション、発明、受胎、発見、生産、創造等の合成されたものでしょう。あらゆる意図や動機の競合を通して一つの奇跡が生じたのです。太陽の下に新しきものあり、というわけです。存在が非存在から湧出したのです。まるで泉が岩からわき出るように。」(『経験の政治学』)
これから、私達の行うべき作業は厳しい状況の壁に囲まれて、暗く展望がないもののようである。だが、私達は一生涯かけて作業をやり抜かなければならない。激しい愛情を持って、そのあとは、私達が生み、育てた、次の世代がその作業を引き継いでくれるだろう。
(Ⅴ状況のなかの精神医学/何故、今、レインなのか? 終)
2022年10月31日
カテゴリー:院長より
見果てぬ夢の地平を透視するものへ-198
現在、私達は激しいい内部の声にせきたてられるようにして、私達自身のものとしての表現論を求めている。外部における状況的疎外の構造が、内部の疎外を屹立させる。疎外は現象として存在するものではあり得ない。
あらゆる権力構造を拒否し、かたくなに人間的生き方に傾斜する表現が、私的に言えば「存在の最も原初的な姿であるやさしさ」に裏付けられる日のために私達は新しい表現論を求めているのである。一つの表現論が、全体として、一つの人間論となり、一つの状況論となり、私達の日々の生活の中で内化される真の唄となる日のことを私達は夢みている。断じて夢ではない夢を。
レイン等による反精神病院=キングスレイ・ホール、クーパー等による反精神病棟=ヴィラ・21、そして今日全世界に存在しはじめた多くの共同体の実践が、私達に厳しい問いかけを行ってくる。私達は休んでいることは許されない。だが、私達は<運動>とか、<闘争>を語っているのではない。私達が語るのは常に<人間>についてでなければならないはずなのだ。
レイン自身が、自己の表現論を内化していく過程で、切ないほどの想念と願いをこめて、表現論のなかの二重拘束を打ち破ろうとする作業が、やはり『結ぼれ』という詩集(表現集)の持つ使命であった。
人は内側にいる
それから これまでその内側にいたものの外側へ出る
人はからっぽな感じがする
なぜなら自分自身の内側にはなにもないからだ
自分がいまその外側にいるものの
内側に入り込もうと、ひとたび試みるやいなや
人はたちまち自分自身の内側に
――人がかつてその内側にいたところの
外側のむこうにあるあの内側に――
入り込もうと試みるのだ
食べようとして、また食べられようとして
外側を内側に持とうとして、そして
外側の内側にいようとして
(Ⅴ状況のなかの精神医学/何故、今、レインなのか? つづく…)
2022年09月29日
カテゴリー:院長より
見果てぬ夢の地平を透視するものへ-197
このような形でのレインの方法論は、コミュニケーションの問題、言語の問題、対人関係の問題等を経て、より根本的な表現の問題へと近付いていく。それは、人間存在の本来的在り様をめぐる表現論の地平である。そしてレインはこの表現論のなかで、確実に存在と認識の二元論をのり越えるための一つのいき方を獲得したと言えるのである。
レインに対する批判としてよく聞かれるものは、レインが分裂病として引きあいに出す症例は、分裂病ではなく分裂病様反応にすぎない、あるいは分裂病質者の反応にすぎないのではないかという議論は、もはやはじめから意味のないもなのである。
「言語において、かつ言語をとおして表現された、言語形成以前の沈黙は、言語によっては表現されえません。けれども言語が言語自らが言い表すことのできない事がらを伝達するために、言語の間隔、空白、言い間違い、縦横に組みあわされた構造、構文、音、意味などを用いる、ということは可能です。音の調子と音量を調節すれば、行間にこめられている意味の明言を避けるという、まさにそのことによって、その形態は正確に叙述されます。」(同前)
レインはさらに、この表現論の基本的意味について次のように、述べている。
「問題は何ものかを無の中に注ぎこむことではなくて、無から何ものかを創り出すことなのです。虚無からなのです。創造がそこから湧出してくるところの非事物つまり無は、最も純粋な場合には、空虚な時間といったものではありません。
非存在は、言語が表現できるぎりぎりの限界のところにあります。けれども、言語が言い表わすことのできないことを言語が言い表わせないのはなぜかという理由は、言語によって示すことができます。私は言い表わされえないことを言い表わすことはできませんが、しかし音があるから私たちは沈黙に耳を傾けることができるのです。」(同)
(Ⅴ状況のなかの精神医学/何故、今、レインなのか? つづく…)

