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2023年08月31日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-205

こうした事実は、単に運動論の誤謬であったというよりも、むしろ私達の個々の病院なり地域なりの構造の認識と現状分析が充分でなかったと考えることができる。

問題は、精神病理学における精神分裂病概念の破綻とか、疾病分類上の矛盾とかいったものだけではなく、疾病概念以前に存在する精神病院と地域精神医療網の本質的不合理性に存在するのである。日本における病院精神医療の内実がこれほど荒廃していなければ、私達は個人対個人という出会いのなかで、一人の<精神障害者>と内的世界の一部を確かに交流させることができたはずだ、というのが私達の基本である。

ところで、マックスウェル・ジョーンズの実践に対して、イタリアにおける反精神医学の代表的実行者であったフランコ・バザリア(Franco Basaglia)は「愛だけでは不十分である」(Love is Not Enough)として鋭い批判をなげかけた。(この問題についても前章の「私的表現考」で触れてある。)

バザリアの根本的認識は、患者にとっても治療者にとっても治療とは政治的な行為である(Therapy is a political act)ということにかかっていたといえる。

モード・マノーニは『反―精神医学と精神分析』のなかでバザリアに触れて次のように述べている。

「イタリアの精神科医たち(フランコ・バザリア)にとって、問題は病院を人道的にすることでもなければ、ましてや解放的な病院でも一般社会と交流のない小社会をつくっているにすいないという事実をいいたいのでもない(技術的に治癒した≪患者たち≫は、入院生活に甘んじて日々を過すべく追放されているのであり、決してそこから抜け出すことはできない)。彼にとって問題は、≪精神疾患≫が今日の社会的文脈のなかでいかに理解され、いかにとり扱われているか、ということであった。精神医学的試みの根底に見出されるイデオロギー的妥協こそが問題なのであり、それは精神科医の依拠している疑似―科学的基準から直接に導かれる帰結なのである。」

(Ⅴ状況のなかの精神医学/状況のなかの精神医学 つづく…)

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