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2010年04月13日
カテゴリー:院長より
見果てぬ夢の地平を透視するものへ-46-
朔太郎の内的世界
I
詩の創造、あるいは表現という<現象>の源泉を求めるという作業からすれば、萩原朔太郎という詩人ほど多様な解釈を私達に要求してくるものは他に見あたらない。
朔太郎は、彼自身の生き方が常にそうであったように、詩や詩論・アフォリズム等々の表現においても多くの逆説と矛盾に満ちた顔をのぞかせる。だから、私達は朔太郎という人間のことを私達の意味において捉えようとするとき、単に朔太郎の詩だけを論じるだけでは不充分である。と、同時に現在まで朔太郎についてあまり簡単に烙印づけられている朔太郎の精神の異常性――憂うつ、強迫行為、幻視、幻聴、アル中、同性愛等々――について私達はその本質をもう一度とらえなおしてみる必要があるのである。
朔太郎自身が強調しているように、朔太郎には生理的な感覚から発せられた詩と、厳然と思想的存在として日常生活に根をおろしていたアフォリズム、あるいは評論という二重の表現行為を自己に荷すことによって完成する(生きのびる)自我の構造が存在したことを忘れてはならない。
(Ⅰ詩人論/朔太郎の内的世界つづく…)