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墨岡通信

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2020年07月02日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-175

 昭50年6月6日の午後、私と病院のケースワーカーのWさんは、N・Hさんを伴って、N・Hさんの保護義務者であり得るべきたった一人の肉親の弟夫婦の家へむかった。東京の下町・江東区内のその住いは、N・Hさんが入院する前にしばらくの間、この弟と共に住んでいた場所である。事前に連絡した際に、弟さんから簡単な道順を教えてもらっていた。
 三鷹の病院から、国電でK駅まで約50分。
 N・Hさんにとっては15年間乗ることがなかった国電である。無論、料金など知る由もない。私とWさんは、あらかじめ一定の金額の費用を私達と同じようにN・Hさんの手許に持たせて、切符その他を勝手に買わせることを検討したのだが、長期間の入院のために金銭的な感覚が、私達のそれとは格段の差があるN・Hにとっては、このことは大変な負担であるらしかった。そのために、結局私達は訪問という目的を最優先に考えて、切符その他は私達が買い与えることにしたのだった。

 国電に乗ると、N・Hさんは私達とは離れて、私達の前の席に見合う形で席をとった。
 国電に乗っている約50分の間、私とWさんは私達がかかえ持っている精神病院での精神医療状況のさまざまな困難さを具体的に話しあったのだった。N・Hさんは終始うつむきかげんで、しかし決して卑屈ではなく周囲の乗客の乗り降りや窓外の風景に興味を示していた。古ぼけた衣類を身につけてはいたが、全体にこざっぱりとして、乗客達の誰もN・Hさんが精神衛生法による強制措置入院の患者であることに気付くはずもなかった。
 K駅につき、私達は都内用の地図を片手に歩きはじめた。6月、夏の到来を思わせる暑い日だった。
 しかし、私達の地図を片手の進行はこの下町の土地では案外とむずかしいものであった。N・Hさんにとっては、15年以上の日数を経て大きく変化をとげた街である。私達が方向を見失って地図をのぞきこんでいるとき、きまって真先に近くの商店などに道をたずねに行ったのはほかならぬN・Hさんであった。ここではN・Hさんは実に活き活きと行動し、その行動において私達をリードした。そこには朝・夕病室の暗い隅で意味不明の読経をあげながら何事かを祈っている固い顔のN・Hさんの姿は微塵もなかった。

(W私的表現考/世界の病むこと つづく…)

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