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墨岡通信

成城墨岡クリニック分院によるブログ形式の情報ページです。

2019年02月21日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-169

私達の考えが、“反精神医学的”といわれようが、“新しい精神医学”といわれようが、そんなことはきわめて現象的なことなのであって、その本質は、豊かな人間性に支えられた、失われた開示性の回復の過程へむけての共同作業なのである。

それでは、病院のなかに十数年以上も入院させられたきりになっている障害者に対しては一体どうしたらよいのだろうか。

私達はこのような“分裂病の欠陥状態”、あるいは“荒廃した分裂病”と名付けられた人間に対する<精神医療>の構造をめぐって模索を続けてきた。

しかし、過去の精神医学と医療とが果してきた巨大な役割のなかで、私達の営為はどれをとってみても卓越した手段とはなり得ないでいた。しかも、私達は単に思弁的でいることは許されない。とにかく、その人間をめぐって今ここで何かをしなければならないのだ。こうした状況から、沈殿した<分裂病>の患者さん達をめぐる、精神医学的、社会的状況の再検討という課題が頭をもたげはじめてきていた。

これら、精神障害者の本当に背後にあるものは何か。果して何が一番の抑圧なのか、という原始的な疑問を軸にして、私達は考えていこうとしていた。

(W私的表現考/世界の病むこと つづく…)

2019年01月15日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-168

この精神病院のなかに(それが閉鎖病棟であれ、開放病棟であれ、作業病棟であれ)、二十年以上、あるいは十数年間も入院させられ、そしてそれ故に退院の見とおしもたてられない精神障害者の存在は、私たちにとってきわめて重い意味を持っているのである。

私達は、病院の機能上だけでなく疾患(多くは精神分裂症と名付けられた)の症候論においても次のような視点を措定しなければならないことを感じている。

<分裂症>を発病してまもない人間に対する<治療>および<医療>の問題と、これら病院に沈殿し、退院することのできない人間に関する治療とは、まったく別のものとして把握されなければならない。そればかりでなく、このような<分裂症>を病んでいる二つの側面の人間の生き方、そして<分裂病>そのもののプロセスも、まったく別のものとして理解されなければならない。

沈殿していかざるを得ない精神障害者は、過去の精神医学と、精神医療が意識的・無意識的に行ってきた<治療>の巨大な非人間的遺物だと私は考える。私達は二度と、同じ誤りをくり返してはならないのだと、肝に銘じておかなければならない。

そのために、現実に<分裂病>を発病したばかりの人間に対して、私達は絶対的に(!)積極的な対人的・対社会的な働きかけを行っていこうとしているのである。

(W私的表現考/世界の病むこと つづく…)

2018年12月14日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-167


この断続的な論考も、一般的な表現論からすこし離れて、ある意味できわめて各論的な精神医学の分野にかかわりすぎたという気がしないでもない。だが、ここまで<世界の病むこと>の内にかかわってきた以上、もう少しだけ歩を進ませて述べさせてもらいたい。

私が現在勤務している精神病院は、東京都の私立精神病院のなかでは、その歴史にしろその規模にしろ代表的な病院といってよい。

だから、この病院の歴史は、そのまま日本の私立精神病院がたどってきた精神医療の歴史だと考えて過言ではない。そして、それだけではなく現代の精神医療の状況と、精神衛生法体制の中核を担う病院として、現在もなお厳然と機能しているのである。



(W私的表現考/世界の病むこと つづく…)


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