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墨岡通信

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2017年02月07日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-145



Fさんにむかって、私は詩を書くことの意味をひたすら問い続けた。客観的な意味ではない。いま、ここでなぜ“私”は詩を書こうとするのか。いや、詩という名前はふさわしくない。それならば表現と言ってみようか。

彼女は、ほとんど、私の問いに答えない。長い沈黙。沈黙を破る必要は何もない。だが私は語りだしてしまう。私自身の事柄を、私自身の表現へのかかわりを。

彼女は、ただ黙って笑っている。時々おそろしく楽しそうに笑うのだ。

だが、彼女は少しずつ動きだそうとしていた。彼女にとって何かが変化しはじめたことを私は感じた。

彼女は、日記をつけるのをやめてしまった。日記を書くと、ものすごくしらけるの、と語る。それにかかわって、彼女は多くの読書と、酒を少しづつ飲むことを習慣づけていく。

 「J・D・サリンジャーが好き。あの主人公(ライ麦畑)のような感受性を持ち、批判精神を持ち、純粋でありながら、それだから現実から脱落していってしまう人間が好き。」

R・D・レインの『経験の政治学』を読む。(私は当時、レインの著作についていくつかの論考を書き、彼女もそのことは知っていた。)

 「意識と、私の人間関係との問題について再確認しました。」

秋山駿の『内部の人間』。

 「独断的だと思います。でも楽しかった。私も自分の内部についてこのように書けたらなあ。要するに表現力の問題かしら。」


私との“精神療法”六回目。その頃から、硬直発作はほとんどおこらなくなる。

「詩を書こうとしているんです。でも駄目なのばかり、破ってすてる紙くずばかりが部屋に散らかるんです。」

母からひさしぶりに電話がある。最後に、「私のいることも忘れないでね。」と言われた、と言いながら怒る。「どうして、あんなことを言ったのかしら。」

 職場(=彼女の住居としての)での対人関係。

 私一人で、11人を相手にして戦っている。最も問題なのは副チーフ。笑いかたもわざとらしいと批判されるんです。

 寮で、一年上の人が会社をやめたいと言っているが寮長はそれを絶対に許さない。会社のやり方、考え方はいつも不合理で非近代的である。個人を認めようとはしない。私を大人として扱ってはくれない。組合も私には無関係だし。
(Ⅳ私的表現考/表現の現象学 つづく・・・)

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