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2016年10月09日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-142

 私が、“治療”を行いはじめた時点で、硬直発作は週二回ほど、一回につき六時間程の持続をしていた。そして、前の主治医より薬の処方がでていたにもかかわらず、彼女は薬で左右される状態=疾患ではないという直感から、まったく処方薬に手をつけていなかった。

 私は、“精神療法”を行う前に、かならずそうするように、私自身のための“治療”行為のためのマニフェストを頭に描いていた。

 ⅰ“治療”とは何かという主題を、まず治療者の側から問いつめていくこと。
 ⅱ医者患者という図式を出来る限り打ち破るために、医者自身の人間的弱さ、悲しさ、日常の問題をまず主題とすること。
 ⅲ患者の抱きかかえた状況の設定は、あくまでも状況の問題としてのみ触れ、対内部知識としての役割は判断中止する。

 私が“治療”をはじめた時、彼女はそれまでとはまったく逆に詩についての話は、ほとんどしなくなっていた。詩の話は意識的にさけているようであった。私には、もともと彼女が詩の世界と呼んでいたものの内実が、それほど強固なものではなく、単なる代名詞のようなものに思われた。彼女は。生き方に於いても、感受性としても現代のいわゆる“文学少女”ではなかった。

 彼女が「死にたい」とか「生きていても仕方がない。」と言うとき、それは単に漠然とした悲観論でも、敏感な感受性のためでもなく、現実に職場でおきた一つ一つの事柄、そして彼女の日常総体の身動き出来ない状況に対する反応であるようだった。

 彼女は、知能そのものは優秀でありながら性格傾向はきわめて幼児的であり、常に依存の対象を求めていた。しかし、その依存の対象は彼女にとって大きすぎるものであってはならないし、彼女と直接に競争しあうものであってはならなかった。

 その頃の詩には
子供の頃のように
私の場所が欲しい
とか
今の生活から抜け出たい
とか
孤独なのが好き
などといった自己像が語られる。

(Ⅳ私的表現考/表現の現象学 つづく・・・)

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