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墨岡通信

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2016年09月22日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-141

彼女の主治医は私の同僚の女医であった。女医であるということ、それもかなり現代的洗練を持った女性であるということが、地方から自己の夢をつなぐ意味で上京した彼女にとって意味のないことではなかったはずである。彼女と主治医との治療関係は、成功していなかったのも、恐らくは、その二つの文化的状況が対立し緊張し、相互を結びつける“言語によらない言語”が生まれる以前に彼女自身の反応が、症状として増悪していってしまったからであった。

退院後も、彼女の発作は一日おきといったペースで出現していた。その間、彼女は“詩が書けない。頭がモヤモヤして……。”とか或いは、“詩の事を話したり詩に関連していないと前のめりなってしまう。”等々を訴え、私と話をすることを強く望んでいた。そのために、遂に私達(私と主治医)は検討のうえ主治医の交代を決意することにし、以後は私が週一度、一時間あまりの“精神療法”を彼女に行うことになったのである。

主治医交代直前の状態。
(主治医はこのままで、詩etcの話相手としてDr墨岡ということは)
“そうすると主治医が二人で方針が違うと思うし”
(そういう意味ではなくて)

(総括)
① 退院した当時、職場になれるまで不安定→病院主治医と話した方が安定→職場での悩みも落着いてペースができてくると、やはり詩をとり戻したい、元の自分の方が安定しているということで…………詩の世界に逃避したい。
② ヤマアラシ的人間関係(一人では寂しくくっつきたい、くっつきすぎると自分を守るために又、離れざるを得ないというような……)ヤマアラシのジレンマ。
③ 自ら行動し、ぶつかりという現実生活の不得て。
④ Dr墨岡、(詩にたずさわる人間で、身近に見出せる唯一の人間。父親的なもの、その他直感的なもの。)

(Ⅳ私的表現考/表現の現象学 つづく・・・)

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